05/03/06

不均衡発展と内部矛盾13(中国の場合5)

こういう、やっかみ・暴動に基盤を置く政権では、前向きな社会改革は不可能です。
何回も書きますが、共産主義でも、中国の大躍進政策で知られるように、生産性の向上を大目標に掲げることを、私が否定しているのでは有りません。
ただ、計画経済下での生産性向上は、現にあるものに対する資源配分・・人的資源を含めて・・・・には、合理的で効果を発揮し易いのですが(停滞社会向きでしょう)、これから創造する分野・・・社会が進歩する時代には限界があるのです。
新たに農地の開墾をするのは、一見、現にない物の新規製作ともいえますが、こうした発想は昔からある農地の・・増産の一種ですから、私の基準では現にあるものの拡大生産の部類に入るのです。
ところで、騒乱がおわった直後は、山賊同様に戦利品の分配が重要施策ですが、これが落ち着いたらすることがなくなるのです。
そこで、中国でも政権獲得後は、分配中心から生産拡大・・・競争促進策への方針変更が必須となりますが、神格化した毛沢東の存在が邪魔になって、まったく進みません。
それどころか、修正して行こうとする動きに危機感を抱いた原理主義者と、その応援を受けた紅衛兵などが、毛沢東語録をかざして、その学習を強要する異常な?反動時代になってしまいます。
軌道修正が出来るようになるには、毛沢東の死を待って原理主義的志向の江青女史ら、いわゆる4人組を追放することが、どうしても必要だったのです。
1976年の4人組追放によって、やっと近代化路線に舵を切る下地・・体制になったと言うところでしょう。
その結果、搶ャ平氏が、やっと共産党の宗旨替えに成功して、1978年にいわゆる「改革開放」政策が採用されます。
これによって、市場経済の導入、国営企業の民営化や不採算企業の閉鎖、人民公社の廃止と請負制の実施、外資導入などの大胆な改革を次々に実施していったのです。
あるいは、地域的には、先富論と言って、いわゆる経済特区を造り、国土の均衡発展論ではなく、改革特区を造り、そこだけが先行して豊かになることを公式に認めて促進していくのです。
これが、広州市郊外の深釧特区の始まりでした。
日本では、これまで、4/30/06「不均衡発展と内部矛盾5(明治以降・・戦後の高度成長)」前後のコラムで書いて来たように、高度成長しながらも、国内格差是正に苦心していたものでした。



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