05/02/06
不均衡発展と内部矛盾10(中国の場合2)
辛亥革命(1911)後の事態の推移も、これに似ていたのです。
軍閥が各地に割拠し、共産党軍の紅軍と国民政府軍の抗争があり、その上、日中戦争まで始ってしまいます。
日本は南京は陥落させて、国民政府の威令を失わせたものの、そのかわり形式上国共合作となりますが、実質は内部での、勢力の拡大競争でもありました。
ちょうど、秦末の混乱で、漢の劉邦と楚の項羽が同盟関係にありながら、漢中に入る競争をしていて、最後に漢楚の興亡になったのと似ています。
こうして国共合作で紅軍は第八路軍として国民革命軍の一部に形式上編成されますが、紅軍は次第に勢力を伸ばし、日本もどこも決定的な支配権を確立できません。
所謂三つ巴の内戦状態になってしまったので、いつもの歴史同様に、痺れを切らした農民の流動化が始まったのです。
こうなると、もう正規軍では収拾がつかないのが、これまでの中国の歴史ですから、農民の支持をつかんだ方が、次の政権獲得者になれるのです。
04/24/06「革命は、経済格差・反動から始まる1(ピューリタン革命1)」のコラムで書いてきましたが、不均衡発展があれば、遅れた地域・人民の数が多いのが当然ですから、混乱した内戦になってしまえば、これを味方につけた方が内戦では有利に決まっています。
ところで、共産主義は、いうまでもなく、自由経済行動を求めるものではなく、資産分配・・ひいては分配のための管理に基本的重心を置く思想集団です。
格差是正こそが「命」の集団です。
共産軍の支持母体が、人民軍・・農民軍であったことの所以です。
この格差是正・・分配主義を目的にする集団・・共産軍が、勝利を収めてしまったのが、中国の長年にわたる経済停滞の原因だったでしょう。
共産主義政権では、関心の中心が分配にあるだけで、発展に対する発想が基本的に弱いのです。
昔なら、内戦が終われば、(漢楚の興亡や後漢成立時・あるいは唐王朝成立時を想起すれば分かるでしょう。)また似たような王朝制が始って社会が安定し、数百年に及ぶ次の時代が始ったでしょう。
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