05/01/06

不均衡発展と内部矛盾9(中東革命の本質2)

これを応援するのは、こうした利権に関係のなかったソ連でしたから、アメリカから見れば、国有化の動きと重なって、共産主義の広がりだと誤解し、過剰反応していただけでしょう。
上記の関係については、10/17/05「中南米やサイゴンの軍事政権(アルゼンチンの場合)1」前後で、エジプトなどの中東諸国も含めて、順次連載しました。
上記の中東の軍事政権のコラムで紹介してきましたが、国有化が終わってみると、国有宣言その他勇ましいことだけ言っていても、発展性がありませんので、社会が落ち着けば商工業の発展を図るしかないのは、どこの国でも、同じだったのです。
これら中東や、後進国の革命の事例は、マルクスの発展段階論が正しくて、社会主義傾向になったのではなく、国民の貧富格差・・不満解消には、さしあたり国有化するしかなかったし、これが簡単であったからに過ぎません。
ところで、石油利権・・採掘料や運河使用料・温泉権・鉱物採取権などなどは、本来土地税(領主権そのものでしょう)そのものですから、これを特別なグループ・・私的組織だけが取得するべきものではないでしょう。
革命政権でなくとも、例えば我が国でも昔から、武田・豊臣・・徳川政権・・の領主の財政・・国庫に帰属すべき扱いで、誰も疑問に思っていないのです。
ですから、国有化宣言をしたからと言って、あえて、革命の成果と言うほどのものではないのです。
あえて言えば、国庫財産と王室財産の分離がきっちりできていなかったのを、会計上明確に区分した程度の話でしょう。
ですから、中東諸国の運河や石油採掘権の国有化宣言は当然のことをやったまでです。
(私的所有・・契約による英仏などの業者の有していた権利も没収した点は、また別の問題ですのでここでは論じません。)
それに、ロシアのような国有化に馴染む大規模農場・・大地主と農奴の関係もなかったので、農場の国有化に結びつかず、あるいは、国有化出来るような工場も、農地もなかったのです。
 この意味からも、ソ連による革命の輸出でもなんでも有りませんでした。
アラブの世界では、個人的なあるいは部族単位の「商」とそれに連なるマニファクチュア(誰でも知っている交易品は、イランのペルシャ絨緞でしょうか?)の世界ですから、企業活動のように個人の努力や才覚にかかっている部分が多く、これを、国有化しようとするのは、不可能であったでしょう。
ですから、結局は、石油採掘料や運河収入を王家から国有財産に切り替えただけの話でした。
運河のほうは経営が簡単ですから、接収しておしまいですが、石油採掘の方は、後進国が接収しても、その後の運営技術がありませんので、却って金の卵を生み出せません。
せいぜい王室の結んでいた不利な契約を、もうちょっと有利に締結しなおしたに過ぎません。
我が国が明治以降粘り強く行った不平等条約撤廃交渉を、中東では、軍事政権ですから(交渉は苦手です)ソ連の後ろ盾があったのでけんか腰でやっただけの話です。
そこで、今でも、欧米系の石油資本(いわゆるメジャーです)が、牛耳っていられるのです。



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