05/01/06

不均衡発展と内部矛盾8(中東の革命の本質1)

王政を倒してみても、その本質は国王の独占していた富の取り上げ・・・略奪をしただけで、民主国家に変化するべき階層が育っていないのですから、結果的にイラクのフセイン大統領のような独裁・・実質王朝化するしかないのです。
戦後あちこちで、革命による軍事政権が生まれますが、どこでも民主化への歩みがのろいのは、受け皿になる中堅層がいないからです。
要するに民主化の必要性(需要)があって、王政打倒したのではなく、本来王制の番犬だった者(軍人)が謀反する口実に使っただけだったからでしょう。
アメリカは、世界中に民主化の輸出をしようと躍起ですが、その受け皿となる中堅ホワイトカラーが育っていない所では無理でしょう。
わが国では、江戸時代300年の間に、中堅ホワイトカラー層に該当する武士層が成立していましたので、近代化に連れてホワイトカラーとして直ちに転進していけました。
工場労働者については、これの供給源となった農民にとっては初体験でしたが、勤勉を良しとする農業体験や、江戸に出て丁稚小僧の経験や、旗本屋敷の若党になるなどの勤務経験が結構多かったので、工場労働などの勤務形式に直ぐ馴染んだのです。
中東の革命は、こうした支持層(職業)としては軍事組織しかない状態で始ったのですから、軍事独裁になるしかなかったのです。
官僚機構も育っておらず、頼りになる組織と言えるのは、軍隊くらいしかなかったのです。
      「国有化の大義名分と、いまどき王政は古い」
と言うスローガンがあっただけのことで、実質は戦国時代で言えば、家老が主家を乗っ取ったようなものでしかないでしょう。
何しろ、こうした革命の主導者は、在野から起きたのではなく、それまで王家の家臣と言うか、兵であった中堅将校が担っているのですから、見方によれば、単なる謀反です。
経済的な石油利権や運河利権に関与していた西側諸国が、革命政権から見れば、奪い取るべき富の警備員みたいな役割でしたから、敵対関係になったのは、仕方のないことだったのです。
国王から見れば、自分の軍よりも外国軍の方が、謀反を起こさない分信頼できると言う変な関係でした。
外国軍はその出身国の利権のために進駐しているのですから、最後まで傀儡の国王側で行動するからです。



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