05/28/05
千葉の歴史16(千葉県人とは5)紀州移民4
話を鰯(いわし)から千葉県人の成り立ちに戻します。
05/14/05・・・2「千葉の歴史15(千葉県人とは3)紀州移民3と「ほしか」」の続きとなります。
紀州漁民の植民地は、房総半島各地に営まれ、紀伊の勝浦や白浜に対して、房総半島にも同じく勝浦があり、白浜もあります。
西洋のニユーヨークやニュー○○と同じ、命名法でしょう。
現地妻のコラムでも紹介しましたが、銚子港を開いた紀州移民は、当然その左右両翼である九十九里浜一帯と今の茨城県の鹿島市周辺に広がって棲みついたでしょう。
或いは銚子開発以前に、上記勝浦や白浜に徐々に植民していたのかもしれません。
その下地が有ってこそ、鰯が大量に取れると言う情報も伝わり、「ほしか」と言う肥料生産を思いついて大規模産業に発展させたのかもしれません。
こうした移民の歴史を見れば、和歌山市に主工場の有った住友金属工業が、関東進出に際して、銚子河口近くの鹿島臨海工業地帯を選んだのは、偶然とは言えないかも知れません。
また、江戸時代初期には、安房の里見氏が関が原の戦功で加増され、鹿島3万石を併せて領有したことを、平成15年12月8日のコラムで紹介しました。
今でも鹿島は、東京発で千葉経由の特急電車の終着駅になっている外、東京からの高速道路も千葉を通って、成田、佐原とつながって鹿島で終点になっています。
こうして、鹿島市や神栖町は利根川の対岸として茨城県に属していますが、交通上は(即ち経済・人的交流)茨城県の県庁所在地の水戸よりも、千葉に近い関係を維持しています。
私の依頼者では、銚子市役所勤務ですが、茨城県の神栖町に住んでいる人がいますし、(弁護士依頼も千葉に来るわけです)川の両側が一つの文化・経済圏なのです。
また、利根川を(当時は利根川でなく湖沼群)遡って野田・関宿のあたりまでは、紀州移民だけでなく、平安末期ころから、続々と西からの移民が入り込んでいたようです。
ところで、昔の下総の国は、今の茨城県南部土浦方面まであったようで、明治維新後数次の改正により現在の千葉県が出来上がったので、今の千葉県と茨城の県境(すなわち利根川)が常陸の国と下総の国の国境(くにざかい)と一致するわけではなさそうです。
12/12/04「関東平野の今昔(雑木林は原風景か?)」のコラムで紹介したように、利根川は、江戸時代初期には江戸湾に注いでいたのを、1654年に洪水防止の為に今の銚子河口に付け替えたのですから、今の利根川を基準に国境(くにざかい)を考えると誤ります。
現在の利根川一帯は、利根川が付け替えられるまでは、湖沼地帯だったのですから、国境にするには境界が不明瞭ですから国境向きではありません。
湖沼地帯の外側が、くにざかいであったでしょう。
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