05/27/05
日本人の米食信仰と配給制度1
日本人の米食信仰と配給制度1今は、「お米が日本人の心のふるさと」であって欠かせないと言いますが、むしろ「鰯(を干した目刺)が心のふるさと」であった時期のほうが長いのではないでしょうか?
私が昔何かで読んだ本では、お米は日本中が食べていたのではなく、庶民は特別な日しか食べなかったと書いてありました。
特別な日だけでも心のふるさとと言えるでしょうが、私が15〜6歳のころの目撃経験でも、箱根以西に比べて、関東平野には水田が少ないのに、驚いたものです。
だからこそ、坂東武者と言って馬に騎乗するのが発達した理由でもあるでしょう。
細かく水田が有って、あぜ道くらいしかない社会では牛には良いでしょうが、馬が走り回るには不適当です。
木曾義仲の馬が、泥田に足を取られた所以です。(木曾殿最後)
まして東北、北海道で米が潤沢に取れて、自家用にふだんから食べられるようになったのは、戦後かなり経ってからではないでしょうか?
以下は
≪東北稲作民の創造≫
〜東北オリエンタリズムの系譜〜環境情報学部2年 山内明美
t01980ay@sfc.keio.ac.jp
という人の文章の丸写しですが、(どこの大学のいつの掲載かも分りませんが・・・・。)
[資料1]は明治14年における、「東北地方の民情」を朝野新聞が掲載しているものと、明治16年に東京日日新聞が「陸稲栽培の実益多大」と報じている記事である。
大まかに読み取れることは「民情は怠け者が多く、荒野はたくさんあるが耕さないでいる」といったものであり、16年の東京日日新聞では「陸奥国三戸(青森県三戸)で陸稲栽培がはじめられ、8年経過したこの年の収量が良好だった。同地の民ははじめてその実益を知った。」と報じられている。」
というのですから、多分私が昔どこかで読んだ記事や、その後の生活実感が当たっている感じです。
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