05/25/05
軍事同盟の今昔と製鉄所の役割 2「パックスアメリカーナ」3
第2次世界大戦前の戦艦建造能力や飛行機の製造能力と言っても、実態は似たようなものですから、日米戦争の長期化には到底耐えられなかったことがわかるでしょう。
近代戦では、兵器の消耗戦でもありますから、兵器供給国と戦うのは論理的に無理なのですから、兵器の心臓部その他重要部品の供給を受けていた日本が英米と戦うこと自体が無謀だったのです。
アメリカによるイラク侵攻でも、イラクはイランとの戦いではアメリカの支援を受けていたので、近代兵器を多数有していたのですが、そのアメリカ相手では全く抵抗することが出来ませんでした。
部品供給が断たれれば、それこそ3日も戦えない時代です。
こうした実情をよく知っていた海軍が、それこそ命を賭けて三国同盟に徹底的に反対し、日米開戦にも反対し尽くしていたのです。
開戦必至になったときに、どのくらいの期間持ちこたえられるかを聞かれた海軍が、「・・・・なら」と答えたエピソードは、ここからきているのでしょう。
敗戦の原因を、分りやすく、石油がなかった、資源がなかったとか、相手が大きすぎた物量に負けたとか言い訳しますが、実際には基本的能力で充分劣っていたのです。
このように見て行くと、明治の製鉄所は社会の近代化どころか、軍の近代化面でも欧米列強に対抗出来るほどには至っていなかったと言えるでしょう。
やっと自前で戦艦を作れるようになったころには、相手はもっと高性能化していたのです。
今でいえば、地域大国、地域強国になっていたというところでしょうが、当時既にグローバル化していたので、地域大国として武力を振るっても仕方なかったのです。
わが国の歴史で言えば、戦国時代の終わりに遅れて勃興した奥州伊達政宗同様です。
しかし、彼は以後伊達や風流にいそしんで、乱世の終わりに適合したのです。
豊臣が事実上天下を掌握してから、なお、その秩序に従わず滅ぼされたのは、小田原北條氏ですし、私戦を挑んだ島津や四国の長曾我部が秀吉から勘気を受けています。
あるいは、今で言えば、地域大国イラクがアメリカを無視してクウエートを侵略したことでしょうか?
地域大国だからと言って、世界・国内秩序に反した行動を取れば、わが国でも昔から処罰されたものですし、秀吉の小田原攻めや九州征伐もその一種でした。
島津も長曾我部も、結局はみんなもとの領地内に引き下がってことなきを得たのです。
英米は自分だけ植民地を取るだけ取って、(捕鯨もそうですが)あとから来た日本の植民地獲得を非難して民主主義の戦いなどというのは、正義に反するというのが日本人の心情ですが、こんなことはいつの時代にもあるのです。
既に世界秩序の出来かかっていた第2次世界大戦前は、ちょうど戦国末期の豊臣的秩序にみんな従ったように国際世論に従うしかなかったのですから、島津や長曾我部の例に習い中国から撤退しようとした近衛内閣の方針は正しかったのです。
ところが、世界的構想の出来ない東条英機ら陸軍軍部に反対されてどうにもならなくなったのは、わが国の悲劇でした。
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