05/25/05
軍事同盟の今昔と製鉄所の役割 1
話が少し飛びますが、わが国或いはどこの国でも、国内戦では古来から、兵器の格差が低かった所から、兵力差と言えば戦闘員数によって考えたので、同盟と言えば、人員の応援が主体でした。
織田松平(徳川)同盟や浅井朝倉連合軍のように、兵士が応援にきてくれることに意義があったのです。
ところが産業革命以来、兵力・国力比較は人口比でなく生産力、兵器の優劣が決め手となりましたので、明治以降の日英同盟の有り難味は、英国から近隣よりも最新式の兵器を供給してもらえるところにあったのです。
日露戦争時にも、203高地占拠で勝った勝ったと沸いていましたが、内実はもう武器弾薬が尽きかけていたのです。
昔の刀槍と違って、使うだけ消費してしまう近代兵器では、自給出来ない限り直ぐ底をつくのは当然です。
或いは自給体制が出来上がっていたとしても、普段の演習用での消耗品の補充や、陳腐化した兵器の更新需要程度に合わせて生産体制が出来上がっています。
それも何年単位で徐徐に更新していくものです。
これが戦争になりそうだからと予め在庫を積み上げても、戦争での消耗は桁違いですから、急場の生産力アップくらいでは、直ぐに在庫が底をつくのです。
こうした場合、友好国からの兵器の融通体制が欠かせません。
太平洋戦争では、戦争開始のころにおけるパイロットの格闘戦の能力は世界1だったと言われていますが、これがミッドウエー沖回線であらかた戦死してしまったのです。
戦闘機のパイロットや、熟練兵士が次々と戦死していき、人材の在庫が底をついたために充分な訓練をする時間がなくて、やっと一通りの操縦を覚えたばかりの未熟練パイロットや船員しかいなかったのです。
これでは、とても格闘戦・空中戦が出来ませんから、一直線に突っ込む特攻作戦にならざるを得なかったことを、以前のコラムで紹介したことがありますが、兵器類も同じことが言えるのです。
太平洋戦争開始直前までには、わが国は軍艦や飛行機を自給自足出来るようになっていたと言っても、日露戦争当時の必需品であった低レベルの武器弾薬や艦船の大方の部品を自給できたと言うだけです。
今の後進国の組み立て加工工場類似で、実は最新兵器、その前提たる重要部品・材料供給のかなりの部分を、英米に頼っていたのです。
中国などが、自動車その他の工業製品工場が稼働しているといっても高級品や心臓部に関しては、ニッポンからの部品供給(自動車加工性熱間圧延高張力鋼板など)なしに製造が不可能なのと同じです。
物流が停まり、在庫がなくなったら、たちどころに製造中断になってしまうのです。
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