05/21/05

いわしと産業革命4(明治維新成功の秘訣3)

現在社会では、外資が中国などへ進出して、原材料部品を始め、何から何まで日本から持ち込むことがあります。
昔と違ってかなりの部分が機械化されていて、未熟練労働者でもすぐ役立つことや、既に国際ネットワークができているからできることであって、外資に頼らずに自前で始めるには最初は自国市場・特に原材料がなければ育ちません。
殆どの産業が、先ず、産地で始る所以です。
そう言えば、幕末ころには木綿が瀬戸内地方で盛んに栽培されていたことと、明治維新以降繊維・糸ヘンの産業が、戦前大阪とその周辺(泉南から和歌山)で盛んであったこととは、関係があるでしょう。
東京オリンピックで活躍した東洋の魔女こと日紡貝塚や、(泉南)大原美術館で有名な倉敷紡績(倉敷市)などご存知のとおりです。
そして、この2〜30年大阪経済が沈滞化しているのは、アメリカとの繊維交渉妥結後繊維産業が凋落し、他方で、輸入原材料に大幅に依存する経済構造になったことが大きいでしょう。
同じことは、養蚕の盛んな内陸地域で、絹織物業や製糸業が栄え、北九州一体が石炭産業の衰退につれてとめどもなく地盤沈下し、あれだけ活躍していたプロ野球の西鉄ライオンズを手放さざるを得なくなったことを想起すれば、すぐ分るでしょう。
何もかも大型船で大量輸入して加工して輸出する時代になれば、太平洋に面した東海地方から千葉(隣接の鹿島市まで)までの外洋に面した地域が有利になるのです。

その後、アジア経済の活況にあわせて、その玄関口である北九州経済が活気を取り戻したのも、同じ原理と言えるでしょう。
勿論製鉄もそうですが、今でこそ国際競争力があるので、100%輸入原材料でやっていけますので、輸入に便利な千葉県に八幡製鉄の後身である新日鉄や川鉄が立地していますが、(千葉に隣接する鹿島市には住友金属)明治維新当時のひ弱なときには、石炭などの産地に近い九州八幡などに立地したこともその表れです。
日本は、明治維新当時、国力相応の鉄鋼石や石炭の自給が出来たのがラッキーでした。
こうして近代産業革命に必要な資源は、当時の国力に必要な程度は大抵そろっていたのが明治の近代化の成功要因でした。
日本は今でこそ、世界中に輸出するために原料も輸入国ですが、明治維新当時石炭など輸入するほどの需要もなく殆ど国産で間に合う国だったのです。
資源と言うと石炭や石油、鉄鉱石ばかりを学校で教えますが、当時の国際戦略商品は鉄鉱石や石炭ではありません。
明治維新当時、鉄鉱石や石炭は必須品でしたが、まだ輸送力の関係で石炭を輸入したり輸出したりする時代ではなかったのです。



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