05/21/05
いわしと産業革命3(明治維新成功の秘訣2)
ちなみに李氏朝鮮は、江戸時代初期には日本よりも木綿生産が進んでいたらしいのですが、適地生産よりも「貢納の便宜」という硬直した原則で、市場性や気候に関係なく遠隔地に木綿生産を強制していましたので、早い時期から世界競争から脱落していました。
(中央集権国家の優秀な官僚の考えそうな原理ではありませんか?)
明治維新当時、李氏朝鮮は単に開国が遅れたと言うだけではなく、当時の戦略商品である木綿生産で大きく遅れをとっていたことが、わが国の下風に立つことになった大きな原因だったのです。
こうして見ると、明治維新の成功は、明治政府も大したものでしたが、その下地を営々と造ってきた徳川の政治、わが国国民のしたたかな能力によるところが大きかったと痛感せざるを得ません。
銚子のいわしが、わが国の鎖国を支え、更に明治の開国時における清国との木綿戦争に勝ちを占める原動力となり、ひいては日清戦争での勝利に繋がった(朝鮮半島での木綿市場支配)とすれば、いわしを馬鹿にはできません。
学校では近代化、産業革命は繊維産業の軽工業から始り、次いで重工業へ進むと、時間・太陽の運行のように自動的な印象で教えられた記憶です。
明治維新で急速に西洋の文明を取り入れて、遅れて産業革命に取り掛かったと学校で教えられたように思います。
しかし機械の輸入だけでは、産業革命が出来ないのです。
軽工業を盛んにするには、その前提たる木綿生産とその経験がなければ、繊維産業自体が育たなかったのです。
木綿は輸入して加工すればいいだろうと思う方がいるでしょうが、繊維産業の経験その他が一定規模に育ってから国産では間に合わない・・すなわち外国へ売るほどになって初めて原材料の輸入に進むのです。
どの産業でも自国市場である程度育ち、国際市場で競争できるようになってから国産品で足りなくなった分の資源を輸入しても成り立つのですが、何の経験もない国がこれから始めようと言うときに何もかも輸入から始めるのでは、無理があるのです。
ある程度国産化に成功し、海外に輸出できるようになると国産原料では間に合わなくなりますから、最初は1割2割と輸入比率と輸出比率を挙げていき、これが究極的に輸出比率があがって来たのが、戦後の多くの国際企業と言うものでしょう。
世界企業になって初めて、殆どの原材料を海外から輸入して、製品の殆どを輸出する時代が来るのですが、初めから輸入ばかりで生産しようとしても関連職人がいないのですから、できるものではありません。
どのような商売、産業でも何の下地もないところで、ゼロから輸入して産業化するのは殆ど不可能なのです。
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