05/20/05

いわしと産業革命2(明治維新成功の秘訣1)

明治政府は前政権を悪く言うために、しきりに徳川の渋ちんぶりを講談や物語りにしますが、徳川政権はもともとケチだったかどうかではなく、ちょうど金銀の産出が枯渇したから経済を引き締めるしかなかったのです。
(それと江戸時代は、小氷河期に当たっていて、生産活動が世界的に停滞した時期と重なったこともあります。)
そうなると輸入品は自給せざるを得ませんので、必死に(金に糸目をつけず?)木綿の栽培奨励に努めたと言うわけです。
その結果、魚をそのまま食べずに、肥料にする工夫・・・贅沢な話です=発明になったのでしょう。
話が換わりますが、日本人は何事にも凝り性で、やりだしたら、徹底的に凝るところがあります。
最近は流行らなくなりましたが、1時は、桃やその他の果実をうまくするために肥料代わりに酒を撒くとか牛に酒を飲ませるとか流行ったことがありました。
何でもやりだしたら、工芸品にまで高める国民性です。
イギリスないし西洋の牧畜・畑作文明は、もともと粗放農業に適したやり方ですから、植民地拡大による生産拡大・奴隷使用と機械発明に進み、わが国はもともと手間ひまかけるのが好きですから、自前で何とかする集約農業、集約産業に進んだのです。
粗放農業と集約農業の発生については、06/12/04「畑作牧畜文明 (粗放農業)の日曜休日と稲作文明の休日1 」以下のコラム、または関連コラムで書いていますので参照してください。
「ほしか」販売先の詮索から話がそれてしまいましたが、それにしても、寒い東北方面で木綿栽培は今でも出来ませんから、高価な「ほしか」を東北方面へ売っていたとする本の記述は、現在の基準で農業イコール東北方面と考えたのかもしれません。
お芝居などで、田舎の言葉を表すのに、直ぐ「・・・だんべ」とか言う千葉や茨城言葉でやるのが普通だったのと同じ次元の問題でしょう。
(ここ20年ばかりは、考証がやかましくなってこうした適当な田舎言葉は影を潜めました。)
話がかなり飛びますが、木綿の生産について少し紹介しますと、川勝平太氏の「日本文明と海洋」と言う本の69ページ以降に詳しく書かれていますが、「17世紀末ー18世紀初期に多肥・労働集約型農法の典型的な・・・(木綿生産が)畿内集中するとともに、近世後半には瀬戸内海が台頭するなど・・・・」とされていて東北には触れていません。
その本では銚子漁港の開発や肥料の内容には全く触れていませんが、ちょうど、銚子漁港の開発と木綿生産の国産化進展とは、時期を同じくしているように私は思うのです。
この肥料のお陰で、江戸時代初期には朝鮮や清国に遠く及ばなかったわが国の木綿産業が、飛躍的に発達して、幕末時には清国を凌駕するようになりつつあったのです。
伊勢松坂の商人が、数多く中央に出て成功していますが、(松坂屋、三越など・・・・・今ではジャスコの岡田家がそうでしょう。)その基礎は、松坂木綿の銘柄生産でこの地域が大きく潤っていたことにあると思われます。
百貨店三越の前身も、呉服屋から始っているのです。
この経済力があってこそ、高級ブランド松坂牛もうまれたのでしょうし、真珠養殖技術を開発する人材も生まれたのでしょう。



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