05/19/05

木綿産業(イギリス産業革命と日本の対応)4

話が為替制度から国際競争力の離しに飛びましたが、わが国が明治維新で開国したものの、5月18日の1の「木綿産業(イギリス産業革命と日本の対応)3アヘン戦争」に書いたように、世界の工場たるイギリス製品は、わが国の木綿コンプレックスに適応できなかったために、ラッキーなことに日本に安いイギリス工業製品が流れ込むことはありませんでした。
開国当初の最強競争相手は、清国であったと言われています。
最近の事例では、アメリカが牛肉の市場開放を迫っても、その果実はオーストラリアが取ってしまうのと似ています。
イギリスよりもかなり遅れて出発したわが国が、豊田佐吉の自動織機などでいきなり世界的な輸出国になれたのは、こうした幸運があったのです。 
車産業でいえば、アメリカが大型車ばかり作っているときに、ダットサンなどの小型車で食い込んで今や世界企業になっているのと同じです。(良かったね!)
話を木綿に戻しますと、イギリス同様に金銀がなくなって、輸入し続けることが出来なくなった点は同じですが、イギリスは海外植民地で綿花生産の努力をしたのですが、日本は海外植民地がなかったのと、工夫すれば何とかなる緯度帯でしたので、国産自給に励むことになったのです。
ただし、砂糖だけは、品種改良では追いつきません(今でも本州や四国、九州で作るのは無理でしょう)から領土拡張が必要でしたので、その後奄美群島から沖縄(琉球諸島)まで支配下におくようになったのです。
鎖国によって、対外膨張政策が完全になくなったような歴史説明は、誤りでしょう。
必要な範囲で、領土拡張もしこしことやっていたのです。
鎖国については、これまで何回も書いているように金銀の流出防止、出入国・貿易管理制度になっただけの話です。
当時の戦略商品の砂糖や木綿は、こうして自給のための国策作物となったのです。
日本は無資源国だと学校でしきりに習いますが、農作物に関しては南北に長い列島の特徴から、世界中の大抵のもを作れるのです。
その気になれば、石炭に始って金、銀、銅などがかなり取れますし、アメリカなど世界有数の石炭産出国に劣ると言うだけの話を、大袈裟に学校やマスコミが強調しているだけです。
明治維新当時からかなりの期間、当時最重要エネルギー源であった石炭は自給できたはずですし、盆踊りの三池炭鉱節が一世を風靡したのは、昭和20年代末から30年代初期〜中期だったと思います。
その石炭産業が行き詰まり、石油産業にその主役を譲ったのは昭和30年代後半からではないでしょうか?



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:学力低下に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資