05/15/05

木綿産業(イギリス産業革命と日本の対応)2

現代社会では、少し前の船井電機アイワ等の電気産業や近年のユニクロその他、輸入商社を通じてスーパーなどが低賃金国へ猫も杓子も工場立地や買い付け機関を設置して大規模輸入をすれば、国内製品が売れなくなって空洞化すると騒ぐのと同じです。
日本の場合、周辺国の製品が国内製と同品質で安いのではなく、日本と同品質品を作れないので、日本から技術指導に行って、そこで日本で売れるような農作物を作って輸入するのですから、イギリスとインドとの関係とは違います。
今のところ技術がすぐれているから日本人の賃金が高いだけなので、現地生産すればするほど部品輸出や技術指導が多くなって、却って儲かっているから何とかなっているだけです。
国内産業移転で見ても、中級品の工業製品に打ち克っている輪島塗りその他の高級伝統産業産地では、芸術者といわれるほどの高級技術者だけが生き残っているのと同じで、工場労働者も海外に技術指導できるほどの熟練者だけが生き残れる社会になりつつあるのでしょう。
インドの話に戻しますと、当時インド綿は世界最強水準でしたから、特にダンピングしなくともイギリス支配地として自由競争になっただけで、イギリス本国はひとたまりもなかったと言うわけです。
この植民地と本国関係のメカニズムまではっきり知っていませんが、(しょっちゅう法改正もあったでしょう)多分植民地に組み込まれた段階で、外国扱いではなくなって、原則として関税や輸入制限による自国産業保護政策が出来なくなったのだと思います。
この同じ関係が後の新大陸のボストン茶条例や印紙税の問題に発展し、アメリカ独立革命に連なってくるのでしょう。
今でも英連邦諸国民は、イギリス本国への移民が簡便であって、しかも、イギリス国内に居住している限り、総選挙の選挙権も持っていると報じられています。
まして、権力にまかせて現地市場価格・相場より安く仕入れたのでは、本国ではどうにもならないのが分るでしょう。
こうして、なだれのようにインド綿が輸入されて、インドでは成金だらけになり、他方で本国では壊滅しかけたのですが、運がよかったのか悪かったのか、ちょうど頼みの綱であったアメリカの金銀の産出が枯渇してきて、これ以上に木綿の輸入が出来なくなったのです。
輸入するお金がないというほど、簡単な輸入制限策はありません。
「窮すれば通ず」というわけで、ここの産業革命の原動力が生まれたのです
簡単に言うと壊滅しかけたイギリス国内産業建て直しの一環、必要性から新大陸(これがリンカーンの奴隷解放で有名な奴隷使用の隆盛と奴隷貿易にも繋がるのです)やエジプトなどでの綿花栽培の大発展になるのです。
最初は、作って見てもインドの綿にはとても対抗できなかったらしいのですが、工夫を重ねてインド綿に打ち勝つようになり、その需要にあわせて紡績機や織機の開発が出来るようになったものです。
こうして木綿生産の拡大、これの機械化の工夫などから、産業革命になったもので、「窮すれば通ずる」、「必要は発明の母」というわけです。



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