05/14/05
千葉の歴史15(千葉県人とは3)紀州移民3と「ほしか」
ものの本では、「ほしか」を、関西、東北方面へ売りさばいたとなっていますが、私の考えでは当時東北方面には、ほしかを使うほどの換金作物がなかったはずですから、売りさばいたのは関西方面だけでしょう。
関西でもどこでも、普通の農作物は当時人糞や家畜の糞尿程度で間に合っていて、海から魚をとってさらに加工したものを、遠くから船で運んで来て売りさばく高価な肥料まで必要とはしていなかった筈です。
魚は貴重な蛋白源ですから、本来人間がそのまま食べても高価なものです。
今で言えば、豚肉や牛肉を肥料にして栽培する農産物が考えられないのと同じでしょう。
では、そのころ、人間が食べても贅沢と言われる魚を肥料にしてまで生産する必要のあった高価な作物とは、何だったでしょうか?
高価作物として考えられるのは、江戸時代初期〜中期ころから自給できるようになったと言われる木綿栽培のためのものだったと私は思います。
以下は川勝平太氏の論文の受け売りですが、木綿は、今の石油や鉄鋼、自動車みたいな高価な財で当時胡椒や砂糖と並ぶ世界交易品でした。
イギリスはインドからの安いインド綿の輸入品が流れ込み、国内産業が壊滅の危機に瀕したばかりか、貿易赤字で参ってしまったのが原因で、産業革命がおこったというのです。
イギリスの産業革命は、燃料革命(木炭から石炭・コークスへ)に始り、動力革命(蒸気機関)最後には紡織機に進んで、ついには世界市場を制覇するのですが、インド綿への対抗軸がその原動力であったというのは面白い発想です。
イギリスから売るべき産物はもともとありませんが、それまでは新大陸からのゴールドラッシュでいくらでも払えたのですが、これが枯渇してきたのです。
これも偶然ですが、日本の金銀の枯渇と時期が符合しています。
日本も金銀の枯渇が鎖国政策採用の大きな原因だったのですが、そうなると戦略商品であった木綿と砂糖の自給が必須になったのです。
ちなみに、鎖国と言っても出入国管理と貿易管理政策程度に過ぎなかったことは、以前08/03/04「税制の小史2(継続税収と冥加金)」のコラムその他で書きましたので、鎖国のキーワードで検索してください。
日本の自給化(集約化・精巧化)に対して、イギリスは規模の拡大、産業革命で対抗・レスポンスしたと言うのが、川勝論文の骨子です。
私に言わせれば、農奴社会に由来する粗放農業社会だからこそ、機械化や規模の拡大が親しみ安かったのでしょう。
機械化の困難な綿花摘み取り分野では、アメリカ大陸での奴隷の輸入で対応したり、自動車生産でもベルとコンベヤー方式の開発に繋がるのです。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
