05/27/04
愛国心とは?3(森を大切にする心2・・天皇家の存在意義1
神道・森の宗教の大元締めの天皇家が江戸に移ってきてからの皇居は、千代田の城とは言うものの、これを鬱蒼とした森にしてしまいました。
或いは明治神宮は、明治天皇は明治45年7月30日に、昭憲皇太后は大正3年4月11日に崩御され、遺徳をしのんで代々木の森に大正9年11月創建されたものですが、以来ほんの100年足らずの間に立派な森になってしまっているのも、その1例です。
我国では、鎮守の森、その他、鬱蒼とした森は心のふるさとであり、天皇家に代表される神社宗教は、これを墨守することこそ使命なのです。
そう言う意味では、皇居前広場のだだっ広さは、何でしょうね。
外国の真似をして閲兵できるようにしたのでしょうが、(それにしても、天安門前広場の殺風景さなどに比べれば、さすがに疎らとは言え松があり、青々とした芝生があるだけましですが・・・・。)天皇の本質は、人殺しをする軍隊を閲兵する元帥ではなく、神事を司ることにあるのですから、1時の間違いだったとして森に戻すべきではないでしょうか?
さらに、宮内庁役人の通勤や仕事の能率の為だと思いますが、皇居内をひっきりなしに車が行き交う現状も気になります。
天皇家・皇族以外は、神域での下馬の精神を貫徹すべきです。
それでは仕事にならないと言うのかも知れませんが、何かを能率よく生産する為に天皇家が存在しているわけではないのですから、その下働き役の役人が能率の為に、神聖な神域を騒々しくする必要はありません。
建築作業などの車や機械は仕方ないとしても、例えば伊勢神宮の参道を神社の宮司と下働きの神人が、参拝客を蹴散らして、忙しいからと神社内を車で移動しているのでは、艶消しではありませんか?
それに、必要は発明の母ですから、動く歩道を半地下に作るなど、地下を利用した移動手段を開発して森の静寂と調和したものにして欲しいですね。
天皇家の存在価値・主な仕事は、政権の権威付けのために忙しく挨拶回りすることにあるのではなく、森・自然を畏敬する神事に仕え、神の声を国民に伝えることであって、それに尽きるのです。
それでこそ、現人神として国民から尊崇を受けることができるのではないでしょうか。
明治政府が考え出した中央集権国家の権威付けのために制定された窮屈なしきたりを守ったり、政府の権威づけのための挨拶回りに利用され、汲々としているのでは、却って権威が薄まってしまう一方でしょう。
民主国家においては、政府の権威は、民意に従った政策遂行にあるのであって、天皇の権威を利用して政権を維持すべきものでは有りません。
天皇の役割は、憲法に定めた国事行為のような最重要行事に限るべきであって、ありとあらゆる(どうってことのない大会にまで)行事に皇族方を駆り出すのは自粛すべきでしょう。
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