05/16/04
国民の祝日に関する法律 4(休日1)
この祝日法制定動機は、民主国家に併せて名称や目的を変えるのを表向きの理由とし、皇室祭祀令・休日の件の勅令からの抜き出して実質的温存をはかるものでした。
例えば、戦前の明治節(5月14日のコラム「休日に関する件」の勅令を見てください。)に併せて憲法を成立させ(国会の議決日をその日にわざわざあわせたのです。)、これをうまく「文化の日」と言い換えました。ただし、もとの紀元節(2月11日)は神国日本神話の大本ですから、何かの行事を併せることは出来ませんでした。
・・・・・仮に憲法施行日をこの日に持ってきてもG・H・Qは承知しなかったでしょうから、ハナから諦めたのでしょう。
その代わり、昭和48年になってやっと建国記念日として復活したのはご存知のとおりです。(昭和40年代は保守復活法や最高判例が多いですよ。)
しかし、あまりに旧勅令の休日と同じ日ばかりでは、G・H・Q にバレバレですからG・H・Q好みの憲法記念日や、平和国家向きの成人の日、子供の日などが加わり国民の祝日らしい体裁を整えました。
国体護持派としては、次第にいろいろな戦前行事の復活を願っていたのでしょうが、前記のように復活できたのは、戦後28年も経ってからの建国記念日くらいで、逆に後記の理由から、休日を多くする必要から、皇室祭事とは関係なく、順次祝日を追加して現在に至っています。
後述のように、今では休日に関する法律っぽくなってしまいました。
こうした歴史があるからでしょう、私が子供の頃は、祝日を祭日とか祝祭日とかの言い方もありました。
祝祭日の表現の歴史を見ると、実は、勅令「休日に関する件」の時代(昭和2年)でも、皇室の祭日だけではどうにもならないので、別の日、例えば、新年宴会その他祭日といえない日をいくつか祝日としていますので、祝祭日の混合形式になっていたのです。(14日の紹介した勅令をもう一度見てください。)
皇室の恩恵を表に出しながらも、実は労働者の休日を創設せざるを得なくなった社会実質の変化を無視できなかったのでしょう。国民(臣民)に休暇を与えようとすれば、労働に合わせた一定間隔の休日が要請されざるを得ません。
ところで、皇室の祭祀(ないし古来からのお祭り)も稲作労働を中心とした時代の休日としては、合理的なものだったでしょうが、工場労働その他、稲作と関係のない労働が増えてくると労働形態に合わなくなってきます。そこで、稲作起源のお祭り・皇室の祭事とは、別の日、例えば、新年宴会その他祭日といえない日もいくつかを祝日として休日に加え、祝祭混合形式になっていたのが昭和2年の「休日に関する勅令」です。
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