05/29/03
男尊女卑思想の崩壊 (連城の壁)1
話しが変わりますが、何ごとも、極限まで進むと崩壊が始まります。
山の頂上に達すれば、下るしかないのと同じでしょう。
鎌倉幕府が、承久の乱で幕府が確立したと言われ、蒙古襲来で、弱ったと言われています。戦後(文永、弘安の役)恩賞として与えるべき分捕った領土もなく、その不満が鎌倉幕府の地位を弱めたと習って来ました。
実はその頃まで、幕府の威令は天下に行き渡っておらず、蒙古襲来で却って挙国一致となって、九州の諸大名にまで威令が行き渡ったらしいのです。
やっと、九州諸大名に対して、幕府権力の源泉である「本領安堵」が恩賞として発行出来たと言う見方もできるのです。
考えようによっては、与える領地がなかった苦肉の策とも言えますし、そう言う批判ばかり学校で習って来たものです。
しかし、絶対権力者として有名な信長でも、領地ばかり与えていられないので、茶器を無闇に権威づけしていました。
謀反を繰り返した松永弾正久秀に対して、「松永の所持している名物茶器さえ引き渡せば松永の助命を認める、」取り引きを提案した事は有名です。
あるいは、武功のあったものに対して名誉的な母衣衆の制度を造ったり、一定の大名に限って茶の湯に参加するのを許可したり、権力者はいつの時代にも智恵を絞っているものです。
明治政府は勲章制度を採用していましたし、戦後は生存者叙勲制度が採用されています。
古くは「八色の姓」(やくさのかばね)と言って冠や衣類の色分けで身分を現わしたりするなど、古代から現物以外の恩賞の智恵があったのです。
夏目漱石の「草枕」の冒頭で、「黄な衣を着た」僧侶と行き違う場面が有りますが、彼は行き違った僧侶が、「黄色」の衣を着ていた事から最下級の僧侶である事を、言外に表現した上で、彼にも負けたという気持ちを込めているのです。
約百年後の今でも、僧侶は階級によって紫や黄色まで決められています。
話しが変わりますが、現在のお洒落でも、紫は余程センスの良い人でないと着こなすのは難しいと言われていますが、この永い歴史がそうさせるのでしょうか?
または源氏物語のヒロインは「紫の上」とされていますが、「黄色の上」にならなかったのは色にも歴史が有るからでしょう。
中国で最も有名な故事は、「連城の璧」でしょうか?
たった一つの「和氏の璧」という璧玉と15の城、すなわちその支配下の領土を含めて交換すると言うのですから壮大な話しです。
このように、実の伴わない恩賞は、弱体の象徴ではなく、絶対的権威が確立してこそ、成り立つものと言えるかも知れません。
裏から言えば、どこの国でも、絶対的権威の確立する頃には、分捕る領土が減って来て、恩賞が不足するので、そう言う智恵が(衰弱の兆し)発達するとも言えるでしょうか?
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