05/27/03
男尊女卑の思想7(江戸時代)
日本国内だけの歴史で見れば、安土・桃山時代が武断政治の最盛期時代ですから、女性の地位が実質的に最も低下した時期であろうと思われます。
それでも総力戦ではなく、武士だけが戦っていたので、国民の殆どは平和に暮らしていたのです。
従って、草の根の女性が強いのですから、武家内部の女性だけが少し弱くなっただけでは、豊臣秀吉も糟糠之妻禰々には頭が上がらない訳です。
歴史小説では武士を主人公にしたものが多いので、殆どの人が日本中戦乱でいつも戦っていたように誤解し勝ちです。
その結果女性はいつも忍従を強いられていたかのように描かれます。
戦国時代とは言っても本阿弥光悦や、千利休、連歌師の紹巴(じょうは)あるいは狩野永徳、長谷川等伯など安土桃山の絢爛たる文化の担い手を輩出した事から見ても、一般人は平和に文化活動に励んでいられたのです。
江戸時代以降は、「300年の泰平の夢」と言われる程の平和時代ですから、文化的にも安土・桃山時代の勇壮な絵画、建築などから、洗練された光琳や軟弱な浮世絵、数寄屋造りなどに変化していきます。
その意味では本来、女性の地位が再び向上している筈ですが、表向き軍事政権でしたから、公的な分野では、男尊女卑の形式がむしろ完成して行った時代でもあったのです。
江戸時代には、皆さん御存じの、1615年制定の武家諸法度が有りますが、この精神を強烈に再現した会津藩の家訓を紹介しておきましょう。
会津藩は、幕末最後の年まで徳川に忠節を尽くし、精強無比と言われた同藩の精神状況が良く分かりますよ。
「大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例をもって 自ら処るべからず。もし二心を懐かば、すなわち我子孫にあらず、 面々決して従うべからず。
武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。上下の分を乱るべからず。
兄を敬い弟を愛すべし。
婦人女子の言、一切聞くべからず。
主を重んじ法を畏るべし。
家中は風儀を励むべし。
賄を行い媚を求むべからず。
面々依怙贔屓すべからず。
士を選ぶには便辟便侫の者を取るべからず。
賞罰は家老のほか、これに参加すべからず。
もし位を出ずる者あらば、これを厳にすべし。
近侍の者をして人の善悪を告げしむべからず。
政事は利害をもって道理をまぐるべからず。
詮議は私意を鋏み人言を拒ぐべからず。
思う所を蔵せず、以てこれを争うべし。
甚だ相争うといえども、我意を介すべからず。
法を犯す者はゆるすべからず。
社倉は民のためにこれを置く。永利のためのものなり。 歳餓えれば、則ち発出して、これを救うべし。これを他用すべからず。
若しその志を失い、遊楽を好み、驕奢を致し、士民をして その所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや、 必ず上表蟄居すべし。
右十五件の旨堅くこれを相守り、以往もって同職に申し伝うべきものなり。」
「寛文八年戊申四月十一日
会津中将 家老中」
それにしても「婦女子の言一切聞くべからず」とはきついですね。
実質的能力の高い女性を、観念的な規則で縛っているのは、当時どこの世界でも似たようなものでしたが、大抵は、建て前と現実をうまく使い分けていたのです。
平成15年3月「桃の節句」のコラムで紹介した、お上の配る暦を神棚に飾って祭り上げていたのもその1例です。
会津藩に限っては、本気で家訓を守っていたようですから、、時代に付いていけなかったのかも知れません。
いつの時代にも、観念的な教養人が指導者になると、道を誤らせる事が多いものです。
竹中平蔵さん大丈夫かな??
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