05/23/03
略奪婚とその名残り
ずうっと時代が下った12〜13世紀のジンギスカン(モンゴル帝国の創始者です。)の生い立ちを見ても、互いに他の部族を襲っては妻を手に入れています。
これは、近親婚を防ぐための原始的な交換の技術であった可能性が有ります。
ただし、掠奪婚(恋愛結婚、見合い結婚、職場結婚などの婚姻の種類の一つです)は長く続きません。
一つには物理的要因です。
余剰生産物でも、略奪して自分の根拠地に持ち帰る為には、輸送手段の発達がない限り、ほんの近くの隣接集団間の略奪しかできません。
輸送手段・例えばトラックがあっても、地続きでなければ他国の領土を跨いで持ち帰る事は不可能です。
まして生きた人間を連れ帰るには、もっと大変な事だった筈です。
掠奪婚を継続する為には、際限なく領土を拡張しなければならず、拡張すればする程、境界が遠くなりますので、人馬による輸送に頼っている時代には直ぐ限界に突き当たります。
モンゴル族が、12世紀に至るまで略奪婚が可能だったのは、騎馬民族であった事と、大平原で人口密度が低く、海原のごとく縦横に駆け巡れたからではないでしょうか?
日本では、こういう暴力的な婚姻は早くから廃れて、優雅な「歌垣」が発達したのは、日本人が特に優雅な人種だからでなく、地形が複雑で、大量輸送手段が発達しなかった事が大きな原因だったと思います。
早くから掠奪婚が消滅していた日本でも、熊野水軍とか瀬戸内その他水軍関係=海賊集団にはいつまでも、美女をかっさらってくる習慣が残っていたようです。
彼らの移動手段は船だったので略奪が容易だった(遠く離れた地域からの略奪の可能性、運送の容易性)からかも知れませんね。
話しは変わりますが、大英帝国が各地に植民地を造って七つの海を支配したのは、海賊と同じく飛び地戦法を採用したからであって、じわじわと境界を広げて行ったのでは、絶対に無理だったでしょう。
日本では、関東平野を除けば、半日も歩けば山にぶつかるのが普通ですし、山一つ越えれば言葉が違うと言われた程、ほんのちょっとの距離に別々の集落が営まれていました。
ほんの近くに他集団がある事から、むらの境界付近に若者が集うのを可能にし、村はずれで出会う歌垣を可能にしたのでしょう。
こうして、日本では古代から、歌垣などを催して、互いに若者同志が求婚し、結婚相手を見つけるようになったようです。
今に残る盆踊りは、その名残りだと言われていますがどうでしょう?
その頃から妊娠して春先に出産するのは、理想的な感じもしますね。
夏の夜になると性犯罪が増えるのは、その名残りかも知れません。
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