05/09/03

学校教育の功罪(セミプロの社会)1

「プロとは?1」のコラムで紹介しましたが、不動産を高値で売り抜けた農民は、明治以降の学校教育の影響をもっとも受けていない職業グループです。
彼等は、明治以降の教育が体にしみ込んでいませんので、自分の判断で行動したのです。
私は、職業柄農家の人と接する機会が多く有りますが、彼等は近代社会システム上、疎外されている事から、自分を卑下した言い方をします。
しかし、一つ一つの判断、人間としてのしっかり加減は、1流大学を出て県の役人や大手企業の社員をしている息子達よりも、格段にしっかりしている人が多いものです。
70〜80才になった矍鑠たるおじいさんが、4〜50代にもなる県の役人や大企業社員である息子を連れて相談に来る事が結構あります。
ルーテイングワークでは県の役人やサラリーマンの方が上でしょうが、何かの事件に巻き込まれて、人間としての対処法が必要になると、おじいさんの方がしっかりしているように見受けられます。(そう言う場合だけ連れてくるとも言えますが・・)
こうした傾向、問題点は、平成3年2月11日のコラム「大企業は人間を駄目にする?」の末尾に書いているように、大企業や大組織が未成熟人間を量産しているからでもあります。
また教育効果の観点から考えると、明治以降の模範回答を求めるような、教育のあり方にも問題が有るように思います。
農民と違って都市住民は、知識教育にどっぷり浸かっていますので、行動パターンはセミプロの焼直しが殆どです。
利殖目的に、銀行から奨められて高額のゴルフ会員権やマンションその他に手を出して、セミプロよりも、もっと損をしてローン地獄に喘いでいるのも都市住民です。
私は平成14年4月3日のコラム「ワークシェアリング2」でトルストイの寓話「イワンのバカ」の世界を憧れて書いた事が有りますが、今回のバブル騒動は、蒙昧な筈の農民が大学教育を受けたインテリよりも、しっかりしていた事、生きる智恵がまさっていた事を証明したのです。
機関投資家に限らず、あらゆる職種でセミプロが幅を利かせ、物まね以外の自由な発想を拒んでいる限り、先進国としてさらなる成長は望み薄です。
例えば、会議中に「どこそこの学者がこう言ってる」と論説を引用しながら言えば、私の意見を傾聴してくれますが、100%私独自の論となると直ちに聞く態度が変わるのが今の社会です。
このコラムの読者も、もしかしたら「どこか権威のある考えの受け売り」だと思って、安心して読んでいるかも知れませんが、すべて私独自の論(しかも思いつきですからアシカラズ)ですので、それでも読みたい人だけ読むようにして下さい。

 



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