04/28/08

教育を受ける権利4(憲法239)

前回紹介したように憲法では、26条第一項でせっかく「教育を受ける権利」と明言しているのに、続けて第2項で明治体制の精神を引きずって、保護者に対しては「教育を受けさせる義務」と書いてあるのです。

基本的人権を認めると直ぐそこに公共の福祉に反しない限りと言う制限がつくのと似ています。

実際に教育に関与するのは保護者ですから、明治以来、政府から教育を強制されてきた歴史もあって、保護者は義務感ばかりが強くなっていますので、(今でも義務教育というのが普通です)子供に無理させるから困ったことになるのです。

一般に「権利には義務が付きものだ」と言われますが、それは権利に内在する制約や、対価を意味するのであって、たとえば表現の自由には表現する義務・・表現を強制される義務まではありません。

同じく教育を受ける権利も、教育を受けるための内在的制約として、学校へ通うとか先生の授業を真面目に聞く、(私立の場合や給食費などの)対価として授業料を払うなどのルールを守る必要がありますが、教育を受けたくない生徒は、授業を受ける義務そのものはないのです。

子供の立場からすれば、教育を受ける権利があるだけであって、子供には教育を受ける義務はないのですが、子供の代弁者は保護者です。

その保護者に対しては国家に対する義務を規定しているのと明治以来の強制によって強迫観念が身についていますので、子供とは利害相反に似た心理関係が事態をややこしくしているのです。

保護者も本人の本当の利益を考えるべきであって、保護者の利益のために行動すべきではありませんから、正確には利害が反しないはずです。

ただ、保護者が自分の責任を問われると困るという自己防衛本能から、つい子供の本当の利益よりも自分の義務違反追及を恐れる行動に走りがち・・よほどのことが無い限り、先ずは登校させようとすることから、事実上の利害相反になってくるのです。

少年事件を担当してみると、社会的に弱い親が、自己保身本能が先に立って、充分に子供を守りきれない・・・・そこから親に対する不信感が醸成されていることもあります。

上記同様に本来は利害は反しませんが、本人の意思を無視できるかのような似た事例では、医療にもあります。

患者本人が意思表示できない場合、本人の意思にかかわらず救急的措置や末期治療が施されますが、これが一定の時間経過で、これ以上救急的措置を施しようが無くなって安定してからも、何年も植物人間のままでも、周辺がこれをやめてほしいと言えない不都合があります。

この解決策として、法の原則に戻って、本人の意思を無視した医療行為は、救急的措置に限るというコンセンサスが生まれれば、どうでしょう?

救急段階が過ぎれば、本人からの依頼がないのですから、医師も本人との治療契約がない以上、治療を続けても治療費がもらえないという仕組みになれば、大方が解決するのではないでしょうか。

 

 



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