04/27/08
教育を受ける権利2
この後に明治以降の教育を受ける権利の変遷を紹介しますが、教育を受ける義務から、次第に能力に応じた教育を受ける権利に変化していき、漸くその精神を体現したのが平成16年改正法らしいですから、この時点が到来してから漸く才能の「才」と言う字を才能に関係のない「歳」に変更するのは皮肉です。
と言うことは、文部官僚が才能に応じた教育を受けるべきだと言う遠大な理想に燃えて「才」と表現したのではなく、単に歳と才の違いを知らなかっただけだったことになるのですから、おそまつ!な話です。
私が育ったころには、智慧遅れっぽい子供の受け皿が無く、みんなと同じ学級で一緒に授業を受けていました。
(子供のときの記憶ですから正確には分かりませんが、50人前後のクラスでしたが、必ず一人か二人いる感じでした。)
これが徐々に養護学級などが整備されて行き、今でははっきりした障害児ならば別の受け皿が用意されるようになりました。
現在の問題は、はっきりした障害児まで行かなくとも、中学1〜2年の授業にはついて行けるが3年の授業にはついていけない、中には教室に座っているのが苦痛な子供・・・・・3時間は我慢できるが5時間は続かないとなどといろんな段階の子供がいることは当然ですが、こうしたなだらかな分布に応じたきめ細かな教育制度が準備されているかと言うことです。
本人の能力を無視して高校くらいは行かないと・・・と無理させるから、反抗的になって不良になっている子供も一杯いるのです。
こうした子供でも一定期間学校へ行かねばならない今の制度は、憲法で禁止されている苦役の強制と評価されるべきかもしれません。
子供は、能力に応じた教育を受ける権利はあっても受ける義務はないはずです。
ただ、その判定が難しく、本人の能力が低いからなのか、親が働かせたいから学校へ行かせないのかの区別がつかないので、明治以来一律に強制的にして来たので、今でも義務教育という言葉が法律上も残ってるのです。
しかし、今の時代、子供を犠牲にして小学や中学の教育を受けさせずに働かせたい親は1万人に一人もいないと言っても過言ではありません。
義務教育制に反対して一揆騒ぎにまでなった明治初めの基準・精神で、教育行政が現在でもそのまま行われているのでは困ります。
最貧国ならイザ知らず、経済大国のわが国で、いまどきお金が欲しいからといって、7歳8歳の子供を働かせようとする人が皆無であるばかりか、これを受け入れる企業の方がないでしょう。
仮にあったとしても、児童福祉法や児童売買春処罰法で就業内容によっては処罰される仕組みです。
社会環境・意識・・立法事実がマルデ変っているのです。
いつも書きますが、昭和平成の現政権は明治政権の延長的性格・無批判踏襲が強過ぎるのです。
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