04/23/08
佛教と諦観1
儒教と仏教の関係については、11/30/05「明治以降の儒教的社会の到来1(農民の解体と仏教排斥)」〜12/01/05「明治以降の儒教的社会の到来4(廃仏毀釈2)」その他のコラムで書いています。
支配層では、本気に国を国家・・家と擬制し、国民を天皇の赤子とした家の拡大観を心から信じている人もいたでしょうし、特権的地位を失うのでそれなりに敗戦はショックだったでしょうが、一般人は平等化して損することはないのですから、敗戦による価値観の喪失などと騒ぐほどのことではなかったでしょう。
ここ2〜3週間ほど日銀の総裁人事問題以来、経済専門家重要性のテーマでの連載中に書きましたが、わが国でも江戸時代中期・・吉宗の改革以来政治の中心的テーマは経済政策に変っていたのです。
また人間関係の規律も、家族・血縁と主従中心の儒教から、その他一般の関係を規律する法社会に移行して行きつつあった・・あるいは明治維新で法化社会へ急発進を始めながら、他方でこれと逆行する儒教道徳(主従血縁関係道徳)の拡大強化を始めたのですから、無理があったのです。
この無理をごまかすために、必死になって家の擬制を拡大し、政府・ステートを「国の家=国家」と言い、天皇と国民の関係を親子に擬制をするまで拡大していただけです。
国家と言う国語については、05/13/04「国民の祝日に関する法律1・・・「国家とは?」
、09/08/05「ローマ帝国の滅亡3(商業国家から農業社会へ)」等のコラムで書いたことがありますが、日本語の浸透している中国や韓国などは別かもしれませんが、それ以外の国では、政治の主体を家や家族に擬するような単語を使っていないでしょう。
ところが実際の国民の本当の関心は、ずっと前から忠孝や家のあり方の議論よりは経済運営のありかた・・食っていけるか・・どの程度豊かな生活が出来るか(住宅ローンの支払いが出来るか)・・他人との関係(もめごと)をどうするかにあったといえるでしょう。
経済的インパクトという意味では、敗戦前から食うや食わずだったので、敗戦自体はこれ以上悪くならなくなったと言うケジメめでしかなく、経済面からいえばバブル崩壊と同次元のショックでしかなかったと言えるのです。
ところで、わが国の国民性を表現するのに、「もののあわれ」と共に、諦観という言葉がしきりに紹介されますが、人事を尽くすものの負けた以上は、それ以上に根に持たず、その先は勝者にあっさりと潔く従う国民性です。
(マッカーサーも、驚いたでしょう。)
よく言えば、スポーツマン・シップにあふれた国民性です。
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