04/23/08
精神の葛藤と阿弥陀信仰など
皮肉なことですが、漢民族による圧迫が却ってチベット族の団結心を強くしている面があるのですから、チベット弾圧で出世してきたと言われる胡胡錦濤主席は、チベット佛教中興の祖といわれる時代が来るかもしれません。
このように近代以降の宗教は、民族対立の核・エネルギー源になることはあっても、個々人の内面の葛藤に対しては、それほどの力を持っていない感じです。
内面に限らず、各人の病気・老化には医療や衛生教育、栄養学が侵食し、個々人同士の対立解消にも、宗教は無力でしたから、このために民事裁判制度を含めた法の支配(家事調停や民事調停を含め)が発達してきたのです。
精神の苦悩の中で、昔からの生老病死苦という大枠以外には人と人の争い(試験その他競争の勝敗も含みます)や、経済上の困窮などが大どころですが、最近ではこうした外形上の苦しみが原因で精神的に参っている人が少なくなっているのです。
私が関係する心神喪失者医療観察法関係や、法律相談でショッチュウ関係する精神疾患のかたがたは、宗教心を厚くすれば解決出来るような人は一人もいないと言ってもいい感じです。
今は、インフラ・制度でどうなるものではない人だけが、残されている感じです。
(まだまだ政策動員の余地もあるでしょうから、ここまでいっては言い過ぎですが、極論すればと言う程度です。)
ところで、レッセフェールと阿弥陀信仰の関係ですが、レッセフェールは新自由主義と名称を変え、競争ルールの整備や個人の自助努力、政府による職業訓練へとあくまで個人をタフにしていく方向へ向かっています。
これに対して、どうせ「見えざる神の手に頼る」ならば、競争ルールの整備をした上で、それでも落ちこぼれてしまう向きには、わが国で中世以降やってきたように、真言その他各種念仏を唱えて観音様や妙法蓮華経・阿弥陀様にお任せしてしまうのが、気楽(本来仏教では、悟りを得るためには、一生懸命修行するべきですが・・・)だと思う人が多いのではないでしょうか?
「人事を尽くして天命を待つ」式の生き方です。
今回の敗戦で天皇制国家体制がひっくり返り、儒教道徳が否定されても、価値観の喪失にそれほど悩まされなかったのは、こうした長年にわたる諦めの習慣・・訓練があったからとも言えるでしょう。
外国からいろいろな宗教が入ってきても、基本的には、教養として受け入れてきただけで相対神の価値観(八百万の神々の一つとして)で来た国民です。
イスラムも「すべては神の思し召し・・」と言うかなり進んだ?考えですから、変化には強いでしょう。
その外に、日本人は元々儒教道徳や明治以降の絶対王政をそれほど信じていなかったこから、価値の大転換などはなかったと言えるかもしれません。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
