04/20/08
わが国の阿弥陀信仰など4
念仏系宗教は、精神科へ行くと、さしあたり、睡眠導入剤や精神安定剤を処方されるだけ?・・これも門外漢の誤った感想です・・なのと似ています。
(向精神薬が良くなっていると言うのですが、その効力がイマイチ分かり難い一方で副作用がきついこともあって、患者が服用したがらないことが多いのです。)
しかし、食うに困らず、冷暖房完備でも、長寿になりすぎて、生きるのに退屈して困っている人が増えてくると、浄土系宗教の提示する極楽浄土のありがたみも色あせてきたのです。
定年退職後充分な年金があって生活には困らないが、退屈で困るという経験をすると、極楽って結構大変なものだと思う人が増えてきます。
極楽とは、言い換えれば、サンデー毎日のことですが、働いているからこそ休日が有難いのであって、毎日が日曜日のようでは困るのです。
すきっ腹でこそ、粗末なものでもおいしいわけで、寒いところから冷え切って帰ってこそ、風呂に浸かる喜びもあるって訳です。
こうなると来世対策・願望よりは、ある程度苦労してでも「生きている内が花」ということで、現世利益(りやく)中心になりますので、来世だけを訴える宗教は存在意義が無くなります。
そこで、安定社会になった江戸時代には、成田不動さん.北野天神など、厄除け・安産祈願・縁結び・試験合格などなど・・・・現世利益を約束?する神社仏閣がはやるようになったのです。
神仏に頼るしかないと思われていた難病でも、医学の進歩で不治の病では無くなったりしますし、ともかく、患者は一生懸命治療してくれているスタッフに対して観音さまにすがるような気持ちになるものです。
こうなると、この方面の顧客も宗教界はどんどん失っているのです。
あるいは、難病の家族同士の助け合い運動が発達していますし、(昔から「同病相憐れむ」と言いますから、今に始まったことではないですが・・・)これの助成システムも幅広くなっていますので、個人が内面で苦しむ場面が緩和されているのです。
福祉国家志向になってくると政府の役割が増してきますので、古くは、貧困と病気という宗教の上客・対象であった多くの場面で、宗教は政府にその顧客を奪われていくのです。
新自由主義に戻りますと、英米の哲学は、福祉国家に安住して南無阿弥陀仏を唱えて、単にすがるのではなく、個々人の努力にウエートをおいている・・ついていけない人には、各種学校で自己の職業能力を磨いて人間改造をはかり、それでもついて行けずにストレスの溜まる人には、精神科を用意するところに違いがあるとも言えるでしょうか?
ついで言いいますと精神科も、入院と通院の中間であるリハビリ的ケアーに力を入れ始めています。
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