04/19/08

市場原理7とわが国の阿弥陀信仰など3

宗教は、近代に入って秩序・価値観の提供機能を失って、政治体制から離れて久しく、ここ100年前後は市場競争からの脱落者の受け皿としての役割に特化していたのですが、(その点は野党の役割に似ています)福祉政策の普及で、この役割すらも次第に影が薄くなってきたのです。

後は福祉政策からも落ちこぼれてしまう人に対する精神面でのケアーくらいの役割になっているのが現状です。

ちなみに、福祉・・生活保護や住宅供給、障害者支援、職業訓練は精神面と関係ないのでは無く、こうした外形的支援が精神面の苦悩を大きく緩和できるのです。

ですから、現在の精神的苦悩者は、こうした外形的不都合から来る苦悩というよりは、精神疾患と言える極限の人たちに限定されてきつつあるのです。

宗教は現世を諦めて「あの世志向でいいのだ」という人もいるでしょうが、阿弥陀信仰といえども、拝んでいる人は欣求浄土・・未来を渇望しながら、実は現世の安楽を求めているのです。

時間の流れは、過去から現在、そして未来へと動くものではなく、逆に過去から未来を想定し、未来が現在を規定するからです。

それなのに阿弥陀信仰その他各種念仏系では、現世での具体的指針が庶民向けに提示されていません。

(私が知らないだけかも知れませんが・・・)

例えば、浄土宗系では、極楽浄土へいくために、現世では南無阿弥陀仏を唱えることを指導し、それで陶酔するだけです。

(お叱りを受けるかもしれませんが・・・門外漢の感想とはこんなものです)

日蓮系の創価学会が現世解決を目指して公明党という政党を結成しているのは、そうした焦りから来たものでしょうか?

現世での諸問題解決には、結局政治権力を握るしかないのですが、握ったところで、その先どういう政策を取るのかの指針が宗教の教義では、現世の諸問題とは関係が遠すぎてはっきりしないのです。

例えば、どれだけ水田を減反するのか、米輸入はどうか、あるいはガソリン税を一般財源化すべきか否かについて、あるいはこれ以上高速道路が必要か,ダム新設の要否について、宗派の教義によってどのように違うことになるのか?と聞かれれば、何ら関係がないということにならざるを得ないでしょう。

江戸時代中期以降政治の中心課題は、経済政策になっているのですが、宗教家にはそうしたことを判断する能力がない・・そういう訓練を受けていないのですから、宗教が政治(現世利益)を目指すのは、ドンキホーテみたいなことになりかねないのです。

と言うことで、宗教は現実政治とは、かけ離れていくしかないのが現実です。

 

 



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