04/19/08

市場原理6と新自由主義2

レッセフェール・市場主義は、つまるところ強者の論理ですから、そのまま受け入れてきた中南米の経済崩壊やロシアの解放後の混乱などを招来したことから、再びロシアなど国家管理による開発独裁的傾向に戻りつつある中進国?も増えています。

新自由主義・新古典派経済学と古典経済学との違いは、単純化して言えば単なる市場原理、自由放任だけでなくいろんな政策のパッケ−ジが特徴といえるでしょうか?

そこで昨今では、独禁法だけではなく金融取引関係のルールも(金融取引法など)詳細ですし、会計ルールも複雑化の一途ですが、その前提として、個々人が、詳細なルールを利用でき、利己的かつ合理的に行動して自己利益の極大化を図り、自己責任を受け入れる原子的個人に作りかえられることが前提となっています。

古典学派がレッセフェールとは言っても、消費者個々人は経済主体としては弱い存在ですから、経済合理的に行動出来るとは限りません。

カントの予定する自立した人間など滅多にいないのと同じで、これを経済版として人間改造を目指したのが新古典派・新自由主義というところでしょうか。

米英が、世界の強者だったとしても、落伍者のいない社会は存在しないでしょうから、新自由主義・新古典派経済学は、国民の多くが競争に参加出来るように、先ず人間改造から着手しようとしているのです。

わが国で最近しきりに言われる自己責任の標語や、職業訓練制度の強化充実は、ここから出てきているのでしょう。

しかし,若いときからの職業訓練は意味がありますが、長寿社会に対応するための転職用の場合、いくら訓練しても人間の精神構造が簡単に変りませんし、世代が変らないとついていけない階層・グループが残ります。

むしろ変化できる人のほうが少数でしょう。

この分野でも、宗教に逃げたり観念的哲学にその解決を求めずに、出来るだけ保険制度や生活保護その他の福祉政策・・・スポーツなど娯楽を含めて現世的・世俗的解決で間に合わせるべき社会だと言う思想でしょうか?

私の子供のころには、イギリスの進んだ福祉制度を現すのに、

   「ゆりかごから墓場まで」

と言う標語があふれていました。

19世紀での蓄積が、そのゆとりを生んだのでしょう。

これが今では、普通の先進国になったのですから、国内格差に悩む人が普通の国並みにいるはずです。

落ちこぼれる向きには、宗教の代わりに

 「精神科治療やその前段階のカウンセラーの充実などの受皿があります。」

というのが英米流・・・あるいは現在の世界全体の進むべきシステムでしょうか?

そこまで全部用意されてしまうと、落ちこぼれ救済目的で生き残りをかけている宗教界の出る幕はなさそうです。

ちなみに、精神科医が最も繁盛しているのは、アメリカだと思いますが、精神医学の基礎は、精神分析で有名なドイツのフロイト、スイスのユングなどの大陸諸国で発達したものです。

 

 



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