04/18/08
市場原理6と新自由主義1
我々法律実務家が法科大学院で教える時代が来ていますが、それは実務の現状を教えることができるだけで、本格的研究者とはその本質が違います。
それでも我々弁護士や裁判官が大学で教えるとした場合には、一応法学を系統立って勉強してきたセミプロですが、彼ら法学部卒の経済官僚は経済学を系統だって学んだことがないはずです。
彼ら官僚が、役人になってから必要に応じて聞きかじったり専門書をいくらか読んだり、あるいはいくら実務を知っていたとしても、本当の学者とは本質的素養が違うのです。
剣道を学んだことのないチンピラが、一流の剣道家相手に刀を振り回しているようなものです。
これからの経済政策の責任者は、経済の専門家であるべきですし、どういう経済政策に軸足を置くのか旗幟鮮明にすべきです。
元次官だからという出世コースあるいは、天下りコースみたいな日銀総裁選任・・その上に、経済の専門ではない法学部出身者ばかりが日本の経済代表では、複雑なマネーの世界・・国際競争・・スポーツで言えば、世界選手権に勝ち抜けないリスクがあって、国民が迷惑を受けます。
03/07/08 「市場原理5とわが国の阿弥陀信仰1(現世の経済学と来世の宗教1)」以来大分離れていましたが、西洋哲学の話題に戻りましょう。
ところで、英米では、観念論哲学が表に出ないで、最大多数の最大幸福という思想中心で間に合っていたのは、何故でしょうか?
これまで考えてきたことから分かることは、イギリスでは真っ先に産業革命が起こって、社会構造の変化が進んだことにあったでしょう。
社会が先に進めば、これまで書いているように宗教や哲学のような基本精神をいくら探求しても、人間関係の具体的な規律が間に合いません。
こうして観念的な哲学よりは、先ず実用的な法制定の動きが始まるのは、わが国の公事方御定め書き編纂と同じです。
わが国の江戸中期以降の享保、寛政、天保と3大改革はすべて経済問題であったように、イギリスはその後、社会実質の進展にあわせて実務的な経済や法律の学問にまい進していくのです。
このように、同じ哲学でも、イギリスの場合は実際的必要に裏付けられて生まれたものですから、個々人の内面の洞察・・・観念のこねくり回しよりは、哲学の目的は最大多数の最大幸福あるいは功利主義という分かりよいテーマ・・政策目標が唱えられるに至るのです。
それと、こう言うおめでたいテーマで間に合っているのは、英米では落伍者の救済に関する方向の需要・・宗教の必要性が少ない社会であったからではないでしょうか?
アダムスミスの国富論・・レッセフェールも、サッチャリズム以来の新自由主義も、世界経済競争の覇者である米英(IMFなど)中心に発達してきたものでした。
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