04/17/08

法と法律

ちなみに、キリスト教は元はユダヤ・商人の法だったのが西洋農村社会に適応して行ったものだと言う意見を、最近では06/06/07「世界平和51と宗教の役割」に書きましたが、元々は商取引を基礎にするものですから、儒教のように血縁重視・不平等扱いを本質とするものではないのでしょう。

ですから、普遍的・無差別適用を前提とする法の支配になじみやすく、これが西洋で早くから根付いた原因です。

ただし、商業主義社会は、護送船団という言葉があるように本質的に異民族との摩擦・・戦闘が付き物でしたから(途中、海賊や山賊の出没は普通でした)上命下服・・階級性や独裁や専制君主制になじみよいことについても、既に書きました。

産業資本と商業資本の違いについては、03/08/06「重商主義の政権3(産業資本家と基本的人権)政商2」から、03/31/06「産業革命と基本的人権思想3」あたりまで書きました。

ところで、明治になって西洋のルールやローを「法」と翻訳したのは何故でしょうか?

法とは言うまでもなく、仏教用語であって儒教用語ではないと思うのですが、明治初めには、儒教はすでに人間社会のルールとして実用の域になかったと言うことの証明でしょう。

江戸時代初期以降、仏教は葬式佛教に落としめられて、儒教のルールで社会生活を律する建前になっていたのですから、この建前のままならば、国家の規範や生活規範を翻訳するのには儒教用語を用いるべきで、佛教のルールである「法」と翻訳するのはおかしい筈です。

まして明治維新では、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていたのです。

現在の使用法では、実定法を「法律」といい、法の精神に反するか否かと言う上位概念・・究極の正義を法として使い分けています。

すなわち「法」とは、その時々の政治的駆け引きの結果生まれる実定法を越えた人倫の道と言う意味に捉えられているのです。

江戸時代に付け焼刃的に儒教を導入したものの、あくまで「主従秩序で強制されているだけ」「宮仕えをしている以上は仕方なし」と言うメッキ的意識で、こう言う枠組みを越えて正しいというものと言う認識まで行かなかった・・・一般国民意識を超えられないうちに、江戸時代が終わってしまったと言うところでしょう。

まして、原始時代から、それほど生活の仕組みが変わっていない農家では、親孝行は別としても、主従関係重視・その強制の儒教道徳もピンと来ませんし、原始宗教意識と佛教倫理の混在した社会でずっと来たのです。

04/07/04「明治政府の政策と農地の流動化1(地租改正と、農地売買の自由化)」以来 繰り返し書いてきましたが、当時は自作農中心で地主、小作関係は明治になって発達したものです。

ですから日本の農村社会では、現在まで衆議・寄り合い合議制が基本であって、上命下服社会ではなかったのです。



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