法の支配4
このように見ていくと、法による社会規範制度は、現在および将来のグローバル社会・・異民族混在社会にこそ、なお、妥当していくべき規範です。
我々法律家・・弁護士や裁判官など実務家の仕事は、一言で言えば人間と人間の関わりのありようを個別分野ごとに切り分けていく仕事です。
社会生活の基準としては、儒教は佛教よりは具体的で、役立つので江戸時代初期に儒教が採用されたのですが、それでも儒教は直ぐに役立たなくなって、吉宗のころには、公事方御定書などの法令集の編纂が必要になってきたことは既に紹介しました。
公事方御定書については、かなりの回数紹介しましたが、法律専門職の発生と言う意味では、10/17/06「法律専門職の発生2(大岡政談はありえたか?2)」前後でも書いています。
このころには、社会のルールが、閉鎖社会向き且つファジーな儒教に比べて、もっと多様な人間関係を規律する具体的な法律に変ってきていたのです。
このころから、(坊さんに聞いても、世俗のルールが分からないし、儒家も具体的なことは分かりませんので)実際の必要性があって、弁護士の前身とも言うべき公事師(公事宿の主人が始まりです)が自然発生しているのです。
これまでも繰り返して書いていますが、このように見ていくとわが国で儒教が実効性を持っていた時代は意外に短かったことが分かるでしょう。
あるいは、主従を中心とする江戸時代初期に儒教の教えは「いいものかも?」と導入したものの、実際に殆ど一回も役に立たない内にお蔵入りになったとすら言えるかもしれません。
公事方御定め書き以前・・これは過去の事例の編纂事業ですから、・・既に具体的な先例がずっと前から存在していたのです。
こうして法律専門職が登場し始めていたのですが、以前紹介したように足高制など中途半端なものでした。
明治の初めには、欧米の制度導入・・すなわち法治国家の思想ですから、法制度の理解が大前提の社会、・・儒教や佛教的価値観を背景にしながらも、法律家が前面に出る社会になったのです。
このような経過で明治維新になるのですが、西洋は勿論既に法治主義になっていましたから、日本は西洋思想の明文化したものである「法」の輸入に努めたのです。
そして、西洋思想の輸入とその枠組みの導入が最優先課題でしたから、法の輸入とその受け入れ者には優秀な人材が集結しました。
これが明治以降、東大法学部の卒業者が各官庁の貴種として幅を利かすようになった歴史経過と言えるのです。
法治国家とは、人権思想でばかり語られるので、誤解がありますが、キリスト教その他、おおまかな宗教の精神・教義の応用で人間関係を決めていくのではなく、具体的な法・マニュアルで決めていく社会になったと言うことです。
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