04/16/08

法の支配3(事後規制社会)

社会の複雑化によって、仏教の抽象的な教義では間に合わなくなっていたので佛教は見はなされてしまう状況で、これが信長の叡山焼き討ちにも繋がっていくのです。

仏教の権威と言うか社会生活に対する行動基準としての価値が低下してきたので、戦国時代が終わると同時に社会の基準はもうちょっと世俗的なルールである儒教に変ったのです。

ところが、社会が安定すると、血縁・家を中心とする戦闘集団の意味が低下して行き、他方で商工業の発達によって直ぐに儒教的素養だけでは、具体的政策の遂行が不可能になってしまうのです。

江戸時代中期以降は、抽象的な哲学では、実務の用に立たないことがわかって、宗教界や哲学界が政治に直接関与し、影響を及ぼすことがなくなって行ったのです。

宗教がだめになったという抽象論ではなく、宗教の中でも原始自然崇拝から佛教へ、佛教から儒教へと順次入れ替わっていった実質から見直せば、儒教では 人間関係のルールは、主従と親子血縁関係の親疎によって隅から隅まで決まっていただけに具体的で、政治権力者には好都合でしたが、血縁と主従に基本を置く分だけ妥当範囲が狭かったのです。

近代以降、行動半径が広がって水平的関係が増えてきますと、無関係者間にも妥当する法律にとって代られる社会にならざるを得ないのです。

無関係者間のルールとなれば、相手が知り合いかどうか・・人によって差別しないことが基本ですから、平等・博愛の方向に進みやすいのです。

法は、無関係者間のルールとして発展したことの反射観念として「法は家庭に入らず」とか、「学問の自治」「宗教の自治」などと言われるのですが、これはこうした歴史経過・・家庭その他特別な関係に基づくルールで律しきれない分野から、法の妥当領域が始まった経過を背負っているだけの話で、徐々に児童虐待や家庭内暴力に対して家庭にも法が入り込む時代になっています。

法は近代に生まれたものですが、基本的に無関係者間のルールですから、普遍性が本質ですから、本来的に性別や人種・民族差別になじまない筈です。

法でこれら差別を決めていたのは、法が普遍化するまでの折衷的制度・・立憲君主制同様に普遍化する途中の一種の過渡期であったというべきでしょう。

あるい前規制の各種・・許認可制度は、法に任せると平等化が進みすぎるので、基本的に何らかの不透明な差別を温存しようとする非関税障壁みたいなものとして残っていたのです。

自由な気風の強い先進国ほど許認可の事前規制が少なく、事後規制の傾向が強いのはそうした視点・社会規律がどの程度まで法で規制され、どの程度情実で処理されているかのバロメーターとして見ていくことが可能です。

事後規制・法規違反を処罰するやり方の方が、裁判所経由・・・予めルールを明確にしておく必要があって、後にそれに違反したかどうかだけですから、情実やコネによる不透明処理のチャンスが少ないのです。

 



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