04/15/08

宗教から法の支配へ2

中国では未だに、国家=法よりは一族の紐帯のほうが大切だという社会・・血縁重視社会ですから、その延長上で排他的にもなるし泥棒や剽窃のし放題になっているのです。

公の観念・法が必要な社会状況になれば、いろんな人権意識、博愛の心も広がり定着していくのでしょう。

こうして出来上がったルールを、拠り所にしてイギリスでは国民が行動するようになると、これを守っている限り処罰しない・・罪刑法定主義も生まれてくるし、国王・権力側でも、みだり法を破ることは許されないようになっただけの話でしょう。

宗教という漢字を見れば分かりますが、大本の教えであって、その応用編は自分で考えなさい、あるいは識者に聞きなさいと言うのです。

社会生活の単純な時代はそれで間に合いますが、叡山や高野山あるいは永平寺で立派な修行を重ねた高僧でも、そこで体得した理念の応用だけで、現在の交通法規や証券取引のルール一つ分かるものではありません。

現在では、精神修養による人格の陶冶だけでは実社会で生きてはいけず、予め法規や道路標識の意味を、具体的に勉強しておく必要のある時代になっていることがわかるでしょう。

本山で修行をしたお坊様も、われわれ法律事務所の依頼者になることがあるのですが、具体的な法・・揉め事の解決には、現在の入り組んだ法知識がないと何が正義か分からないのです。

勿論孔子、孟子その人でさえ、今生きていたとして、「先生の考えの応用でお答えください」といって、交通ルールのテストをしたら、道路標識の見方も分からず運転免許試験に通らないのではないでしょうか?

金融取引法や会計ルールのテストにも、答えられないでしょう。

彼らから見れば、人格的には、何等級も下位に属するサラ金の従業員の方が、貸し金取立てに関するルールに詳しいし、証券会社人の方が、証券取引に詳しいでしょう。

法律が詳しく細かくなった代わりに、これを守っている限り処罰しないという罪刑法定主義が生まれてきたのです。

現在最末端業務では、どこでもマニュアル万能時代になっていますが、言うならば法社会化の行き着くところが、そこまで来たと言うべきで、若者のマニアル一辺倒を馬鹿にしてはいけません。

店員の精神がどこにあろうとも、マニアルに従った接客態度であれば合格という時代です。

勿論相手が年長かどうかでは無く、どんな小さな子供でもお客である限り、大の大人が、「いらっしゃいませ」とマニュアルどおりに発声して、お辞儀しなければならないのです。

昔の人は礼儀正しかったと嘆く人がいますが、最末端の労働者までそんな礼儀正しかったとは言えませんから、(応用力からでたものではない御仕着せととは言え)全体的にはレベルが上がっているのです。

 



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