04/14/08
儒教から法へ3
こうした事態は、必ずしも儒教そのものから必然的に招来されるのではなく、道義・公正な心の低い人が儒教を悪い方に悪い方に解釈すればそうなると言うだけですが、現在中国では、その最も悪い方に国を挙げて発展してしまったのです。
一回くらい悪く考えても、そこまでは行かないでしょうから、よほど出来が悪いのです。
搶ャ平の掲げた有名なスローガンに・・
「白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫は良い猫だ」
と言うのがありますが、この影響かもしれませんが、以来道義も何も無くなったのが、現在中国です。
日本人で言えば、儒教が血縁重視を教えたからといって、見知らぬ人には何をしてもいいと言う思考法になる人は1万人に一人もいない・・机上の空論ですが、中国人ではそう考える人が普通で、しかも恥かしげも無く実践しながら、悪い事をしていると言う意識が民族を挙げてないのですから、末恐ろしい民族です。
こう言う風に儒教道徳が後世その本家本元で悪用されるようになるとは、孔子様も草葉の陰で驚いているでしょうが、(性善説の孟子も驚くでしょう)原子力でも何でもその運用する人間次第と言うことです。
韓国でも、そこまで行かないのですから、中国の国民レベルが著しく低くなっていると言うことでしょう。
泥棒まで儒教の必然だと言うとお笑いですが、対外的にこれだけ違法コピーその他混沌といってよいほど無茶苦茶な無法をしていても、中国国内の社会が成り立っていると言うことは、自分達仲間同士では一定のルールがある、やっていないということではないでしょうか?
泥棒集団も、その内部あるいは自分の家族内では、自分の物と人の物の区別があるのでしょうから、究極のところ身内や関係者以外なら、不公平取り扱い、剽窃・泥棒、強盗しても何してもいいと言う論理構造になっていると言わざるを得ません。
儒教は、タガが外れるとそういう方向へ行きかねない教えでもあるのです。
主従身内関係だけのルールである儒教では、社会を律しきれないのが分かると、日本では、正義の必要性から速やかに法の必要性が痛感されて公事方御定書のような宝典編纂作業に発展したのですが、中国では、むしろ、ルールがないなら、見知らぬ人は騙せばいいという方向へ、悪い方へ発展したと言えるでしょう。
民衆のレベルの低さがそういう方向へ発展させたのでしょうが、社会がそこまでいかないうちにイキナリ開放経済となって、貿易のために海外からモラルが強制されているだけですから、まだ、自分達同士での法の必要性が身をもって分かっていない側面が、これを倍加させていることは無視できないでしょう。
儒教のもともとの排外的基準と社会発展の遅れから、外国人向けの法は免れれればよい、誤魔化せばよい、泥棒に出かければいいと言う意識で行動しているのが、現在中国民衆であって、根から品質が悪いだけとは一概に言えないかもしれません。
彼ら自身の取引にもルールが必要な社会が来れば、おのづから、世界に対してもそのルールを守れるようになるのでしょう。
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