04/13/08

佛教から儒教へ1

政権担当者=総理や大統領は、自分で経済政策通である必要はないですが、どのような人材を登用して経済を任せるかの結果責任があるのです。

昔から中国では、帝王は、どのような軍師を採用するかで帝王の器・・・劉邦と韓信の故事・・「将の将たる器」が決まったのと同じです。

職業分化のコラム・・たとえば、01/10/07「世界平和12(戦争の原因6・・武士の戦争6)戦闘員の専門化2」前後の連載で、軍人の専門化が比較的早かったと書きましたが、組織存続の原始的必要性の発展順序から行って、呪術師に次いで先ず最初に武門の専門家の比重が高くなるのは当然です。

時代が下り、一定の国際秩序が形成されている現在で必要なのは、経済戦争のプロ・・経済政策の専門家です。

中国では、古代から帝王といえども、一旦軍師を選んだ以上は軍師の戦略に口出ししてはいけなかったように、各種学問の自由も、専門分野の一つとして政治が口出ししないと言う国民の合意が出来上がった結果なのです。

経済も遅れてやってきた専門家として尊重されるべき分野です。

しかし、専門家に委ねるのは、目的達成に合理的だから委ねるべきだと言うだけであって、軍師は王の究極的意思、戦争に勝つという目的に反した行動をすべきではなく、司法も国内秩序安定に資するべきですし、経済も独立だからと言って、国の経済・・進むべき方向・・たとえば過熱気味の経済を引き締めようとするときに金融政策は独立性があるからと言って、金利引き下げをして政府の政策の反対方向に舵を切ることは許されません。

勿論、その逆も真なりです。

その意味では、一国の財政政策と金融政策は整合性を保つべきなのです。

中央銀行の独立性とは、要は経済政策や貨幣の発行量はは専門家に委ねようと言うだけの話です。

以下、わが国では、何故法学部出身者ばかりが政策決定の専門家・・貴種として各官庁の事務方のトップを占めてきたのかについて考えて見ましょう。

飛鳥時代の佛教導入以降、元は知的専門職の輩出源としては、宗教界が大きなウエートを占めていました。

(ご存知のように大学制度も導入されていました・・鎌倉幕府創設に貢献した大江家のような学問の家柄もありましたが、家柄に特化していたので人材の吸収〜輩出にいたらなかったのです。)

江戸時代初期に儒学が官学になってからは、儒学門下から人材が出てきます。

江戸時代中期以降、教養人は僧侶に限らなくなったことから、儒学者が幅を利かすようになったのです。

しかし、ちょうどそのころから経済社会の発展によって、親子と主従とその修正版としての師弟関係などを中心に組み立てられた儒教的規律だけでは、人間関係が動かなくなってきたのですから皮肉です。

こうしてわが国では、儒教は実社会に浸透する暇がなかったのです。

 



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