04/13/08

餅は餅屋に(財政は経済の専門家に)

これまで書いているように、政治家は軍事戦略に口出しすべきではない、政治家は学問に口出ししてはいけない、政治家が個別裁判の内容に口出ししてはいけないと言うのはすべて、専門のことは専門家に任せるべきだと言うだけの原理です。

これをもっともらしく、学問の自由とか司法権・裁判官の独立と言う標語にして来たに過ぎません。

これと同じで、経済も遅れて専門性が認められるようになったので、これを中央銀行の独立性といわれるようになっただけです。

中央銀行の独立性の堅持とは、経済政策は、専門家に任すべき分野だと言うだけのことですが、当たり前のことがそのまま言えないほど経済の専門家の地位が低かったのです。

これまで通貨統合と経済政策のシリーズで書いているように、金融政策と財政政策との整合性が必須であることも分かってきたし、財政の責任者も経済の専門家が担当するようになれば、きちんとその立場ごとの違い・影響を見定めた上で協調して何も悪いことはありません。

むしろ、過熱した景気を冷やすとか、不景気の底入れを図るなど国を挙げてやるべき方向性は一つですから、財政当局はは積極政策で、日銀は引き締め政策と言うちぐはぐは許されません。

財政は、特定業界との癒着や政治的圧力や特定企業との野合によって行うのではなく、きちんとした理論的裏づけをもって政策実行すれば良いのです。

既に03/15/08「政策責任者の資格(日銀総裁と財務大臣)5」で批判したように、法学部卒ばかりが、旧大蔵省だけでなく、その他の官庁のエリートになっているのですが、これまで書いてきたように現在の経済社会は複雑です。

仮に法学部に俊秀が集中しているからと言っても、畑違いの人が片手間で勉強した程度で勤まる時代ではないのです。

野球のイチローが、運動神経がいいからといって、もしも片手間にテニスをしていた場合に、テニスの世界選手権に出られますか?と言うことです。

問題は財政と金融の分離ではなく、天下りの受け皿的発想はやめるべきだし、経済の専門でない法律家がいろんな分野でのさばり過ぎているのも間違いです。

いわば宗教界での権威が、少しばかり政治、経済にも明るいからと言って、経済政策の責任者になるのがおかしいのと同じです。

ここで、統治技術者の歴史を見てみますと、江戸時代初期には、天海僧正が活躍出来たのは、知的職業者の多くは宗教界にしかいなかったから、重用されたと見るべきです。

江戸時代初期からの儒教の採用で人材が儒教に集中されて、中期以降新井白石に始まって錚々たる人材が俗界から出てきますので、宗教界からの人材供給に頼る必要が無くなったのです。

赤穂浪士の討ち入りに対する処断の決定は、儒学者荻生徂徠の意見書によったといわれています。

 



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