04/11/08

正午とは?2

話題が連歌の楽しみ方に行ってしまいますので、時刻の長短に戻しましょう。

あるいは春宵一刻が徐々に短くなっていくのを惜しむ、「春宵値千金」に対して、「秋の夜長」といいますが、秋になると夜全般が長くなるだけではなく、一刻の長さが一晩ごとに長くなっていく感じを表したものでしょう。

話を戻しますと、南中時を不動として、変動する日の出日没のときを、固定した明け六つ暮れ六つと決めてこの前後で割り振った結果、申の刻、酉の刻といっても、その一刻の長さが季節によって大きく変っていたのです。

明治の改暦以降は、南中時だけ自分の国の標準時に合わせ、日没日の出の時間は毎日ズレてもいいと言う思想ですから、ここまできたら、12時00分だって太陽光にあわせないで、どこか(その国)の南中時に合わせてずらしても、五十歩百歩と言うところになっているのです。

国内ならば、いくらズレてもかまわないが、よその国の首都にあわせたのでは、沽券にかかわるというくらいでしょうか?

西洋のモナコその他小さな国では、国ごとに標準時を定めるのは煩雑です。

実用的意味からも、沽券にこだわっていられないのではないでしょうか?

そういう意味では、江戸時代も最初のころまでは山城の国のどこかの場所の南中時に合わせて時刻を決めていたのですが、何時のころか忘れましたが、江戸の飯倉あたりに変更していたのです。

この詳細は後に暦をテーマにしたコラムに戻ったときに書きますが、時間の支配こそ権力の本質ですから、日本の首府はこのときから江戸に移っていたとも言えるでしょう。

沽券の意味機能については、03/28/04「男の沽券(沽券)・面子(めんつ)とは?1(売買証文)」から始めて06/18/04「男の沽券・面子4(恥の文化・・・菊と刀2)廃刀令」前後まで連載しています。

沽券を別にすれば、現在では時間を知るのには、時計や機器類であって太陽光の位置を見て決めている人は皆無でしょう。

ついでに、正子、正牛、正寅、などの用例が無くて、何故ウマの刻だけ「正」午(午の刻ジャスト)と言うのか?という変な疑問です。

上記のように正午だけは、すべての時間の基準になっていたから、2時間も幅があるのでは困りますので、ぴったりと定めないといけなかったからです。

今では12時といえば12時00分のことですが、明治の改暦以前当時の午の刻や子の刻や寅の刻は、今で言うところの約2時間の幅・・季節によって違いましたが、幅があったのです。

子の刻、牛の刻といっても、おおむね、約2時間も幅のある時刻表記でしたが、農業社会では、その程度の幅のある時間のながれで生活していたので、何も不自由が無かったのです。

現在でも一生懸命に仕事打ち込んでも、2時間位すると疲れて来るものですから、適当な時間幅なのでしょう。

 



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