04/10/08

水無瀬三吟百韻(夕べは春?)

わが国でも昔から、春の宵は貴重なものとされていました。

承久の乱で敗れて隠岐の島だったかな?・・に流されて憤死した後鳥羽院の霊を慰めるために、後鳥羽上皇の愛していた水無瀬の離宮跡で、250回忌奉納のために催された水無瀬三吟百韻と言う連歌の最高傑作があります。

連歌と言うのは、以下に紹介するように発想を粋に転換しながら楽しむもので、本当に粋な遊びです。

この連歌の会で、テーマとされた後鳥羽院の歌

  「見渡せば山もと霞む水無瀬川、夕べは春と何思いけん」

と謳われているのが有名です。

この歌が人口に膾炙して、以来秋の夕暮れもいいものだとなりましたが、それまでは春の夕暮れこそが良いものだとされていたのです。

これを踏まえて、宗祇によって百韻は

   「雪ながら山もと霞(かす)む夕べかな 」

と発句されて、百韻は再び春ノイメージから始まります。

この連歌の会は、確か正月(旧暦)に開催されたのですから、山の上にはまだ白雪が残っているイメージだったのでしょう。

以下冒頭部分を紹介しますが、宗祇の「舟さす音もしるきあけがた」と言う渋い転換を経てこれを受けた肖柏の第2句から漸く、後鳥羽上皇の歌った秋の景色に移っていきます。  

   行く水とほく梅にほふさと   肖柏

   川風に一むら柳春見えて    宗長

   舟さす音もしるきあけがた   祇

   月や猶霧わたる夜に殘るらん  柏

   霜おく野はら秋は暮れけり   長

 

連歌というのは、こうした発想の転換を繰り返して、百韻の場合100首を巻いていくもので私には、粋な遊びだなあと思いますが、皆さんいかがですか?

芭蕉の奥の細道も、単独の俳句を詠んでいたのではなく、各地の趣味人を集めて・・事前に一定の予定で人が集まっていて連歌の会を催しがら旅したもので、現在の公演旅行みたいなものでした。

芭蕉によって連歌の内容が俳諧に移っていったのです。

俳諧をテーマにする・・結局は、江戸時代人の精神的余裕の反映というべきでしょうか?

 



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