04/09/08

地球時間5(サマータイム)

ところで、現在の最新式時刻表記も、日本なら日本の標準地(明石)の南中時を先ず定め、これをウマの刻(12時)としているのです。

そしてこの基準となる午(ウマ)の刻の前を午前何時と言い、ウマの刻の後を午後何時として、今でも表現しているのですから、江戸時代までの時刻表記の基本の上に今でも生活していることになります。

ただ江戸時代までと現在の違いは、明治の改暦以降は日没日の出を問題にしないで、南中時を基準に1日を機械的に24等分したので、日没日の出の時間は一定ではなくなりました。

01/16/08「陰の重要性3」その他で書きましたが、古代には夜の一日と昼の一日と表示されていて、一日が二つに分かれる観念がありましたが、そのDNAを明治の改暦まで引きずっていたとも言えるでしょう。

日常生活の便宜・・ズレを知らせるために、現在でNHKラジオでは、明日の日の出は、札幌何時何分、仙台何時何分、東京何時何分などと毎晩放送しているのです。

明日の潮位と月齢というのもNHK第二で放送していますが、これは太陰暦に基づく生活をしている人たちの便宜を配慮したもので、多分かなりの少数派になったので第二放送にまわされているのでしょう。

正式な暦は太陽暦になりましたが、ラジオ放送はこうして太陰暦以来の伝統的生活に配慮して、毎日無料サービスしているといえるでしょう。

江戸時代までの暦では、季節の動きに関係なく日没日の出の時刻表記を一定にしていたので、例えば、日の出を午前6時と決めれば、太陽の動きに関係なくいつも午前6時ですから「今日の日の出は午前5時45分」などと放送する必要がないのです。

時代劇などで、「暮れ六つの鐘が鳴る」と言う場面がありますが、日暮れのときが「暮れ六つ」に決まっていたのです。

夏も冬も日没時が六つというわけで、何時も同じ時刻ですから腕時計がなくとも分かりよい良いといえば分かりよい代わりに、時間のほうは夏の昼間と冬の昼間は、一刻の長さが違っていたのです。

(サマータイムは、アメリカでやっているから、有難そうに思う方がいますが、こうした先祖帰りの一種です)

孟賞君の鶏鳴狗盗の故事も、夜明けになると門を開けるという自然現象にあわせた決まりと理解している方が多いでしょうが、一定の時刻になったら開けると言うルールがあり、その時刻が夜明けのときであると言うことです。

現在生活は、分秒刻み・・・と言うことは、お空を見ていても分かりませんから、時計の動きに合わせて約束などしますが、昔は、日の出や潮の満ち引きにあわせて行動するほうが自然だったのです。

その代わり正確な時間は、移動中の人間には普通には分かりませんから、正確な共同行動をとるには太鼓や鉦の合図が必須であり、これが戦さ用に発達したのです。

江戸時代の赤穂浪士の討ち入りでも、正門からの討ち入り組みと裏門からの討ち入り組みの時間を一致させるのに苦労して、いわゆる山鹿流の陣太鼓が使用されるのはこうした理由によるものです。

本当は討ち入りを隠密にやりたいので、大きな音は禁物ですが、携帯時計や電話がなかったので仕方がなかったのです。

 



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