04/08/08
地球時間4(正午1)
話を戻しますと、地域ごとの寝たり起きたりや昼食の時間にあわせて、その国や地域の時間表記を決めるのではなく、(正確には日没日の出と南中時ですが、ここは面白く書いているだけです)時間表記を世界共通にして、時計の表記に関係なくその国の人が日が昇れば起きる、暗くなって眠たくなったら寝る、食べたくなったら食べることに決めれば良いのです。
その代わり飛行機、コンピューターその他各種金融取引などを統一した時間で処理できた方が、いろんな約束事や管理がすっきりするでしょう。
人工衛星に普通の人が乗れる時代が来れば、日本上空では日本時間、中国上空では中国時間と1〜2分ごとに腕時計の針を変えていくのでは頭がおかしくなってしまうでしょう。
このあいだ、宇宙飛行士として、地球をぐるぐる回ってきた土井さんはめまぐるしく時計の針を変えていたわけがないでしょう。
世界標準時を決めた当時は、まだ船で移動する時代でしたから、国ごとに違う時間にしてもそれほどの不都合がなかったのです。
当時即時性に近かったのは、セイゼイ電報くらいでした。
標準時間をわが国の12支の時刻表記に当てはめて、9時間ずらした歴史については、この後に明治の改暦に関連して再度書きますので、この位にしましょう。
ちなみに、現在持使われている午前午後の「午」とは12支の内の「ウマ」の刻を意味し、正午とは、午の刻ピタリ・ジャストと言う意味です。
現地時間は日没日の出が基準かと思う方が多いでしょうが、それは日常の行動基準としての原始的・・時刻観念の生まれる以前の一段階古い基準です。
この基準では、季節ごとに・・正確には毎日のように・・日没日の出の時刻が変ってしまうので、現在では統一した時間を得るためには南中時・午の刻を先ず定めて、これを基準に時間配分するようになっているのです。
時代が下り、時刻観念が発達した後にも、日没日の出の生活習慣を無視できなかったので、太陰太陽歴では、南中時から日の出から日没までの時間を各6等分して時間を割り振っていたのです。
そして、日没から日の出までの時間も6等分していたので、毎日のように昼間の時間と夜の時間が違いますから、それぞれの一刻の長さが日々変動していたのです。
たとえば、日没後の戌の刻と真昼間の羊の刻は季節によって(冬は戌のほうが長く夏は羊のほうが長かったので、)同じ2時間ではなかったのです。
ですから、江戸時代の一刻は今の約2時間として多くの方が常識的に知っていると思いますが、その意味は、2時間に近いけれども正確には多いのか少ないのか分からないという意味の「約」と、季節によって変動する幅があるので一概に言えない「約」の両方を含んでいるのです。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
