04/06/08

バブル発生と後始末(大蔵省の責任)2

バブル処理を長引かせているうちに、バブル発生の責任者・・すなわちその10年前後前の幹部職員は、次々と巨額の退職金を貰って、どこかへ天下りしては、また2年程度でそこから数千万円の退職金を貰うことを繰り返していたのです。

(たとえば、大蔵省の次官などは2年前後で退官していきますし、その後はいろんな総裁や理事長職を渡っていくのです。)

ちなみに、日銀総裁候補で民主党の反対を受けた武藤敏郎氏の次の候補になった田波氏の履歴を見ると、これも東大法学部卒後大蔵省に入省、1998年1月次官就任、99年7月次官退官、即国際協力銀行副総裁就任、2007年10月同銀行総裁に就任となっています。

彼は上記のとおり、金融危機の最中の98年当時の次官ですが、1983年にやっと主計官になり、その後主税1課長、大臣官房秘書課長などを経て、財政投融資に関係する理財局長になったのは何とバブル崩壊後の1994年と言う有様です。

バブル発生の元凶である過剰流動性政策・プラザ合意後のころには、まだ課長クラス・・それも政策権限がない分野だったことになります。

バブル崩壊後7〜8年もたってしまえば、金融破綻を処理するのころの責任者は

「私は頭取(次官や局長)になったばかりで、10年から20年以上前の過剰貸付当時はペーペーでしたから責任がありません。」

という構図です。

元々バブル景気そのものが、役割の終わった金融機関が既得権益にしがみついて過剰融資に走ったのが原因だったのですから、その後始末・・裁かれるべき彼らが戦後処理の責任者として関与し続けていたのは、泥棒にその裁判や検挙をゆだねているようなものでした。

こうして大蔵省や銀行関係者の信用が地に堕ちたので、大蔵省も金融庁と財務省に解体されるまで進んだのです。

金融機関が日本経済の中枢に関与するべき役割が、トックに終わっていたことについては、04/27/07「銀行救済5(投資用融資の減少)」02/24/06「金貸しと銀行の区別2(間接金融・・政府主導経済の先兵)」、04/27/07「銀行救済5(投資用融資の減少)」前後で連載しました。

現在でこそ、銀行系の政財界への発言力が弱くなりましたが、当時はまだ大蔵省を頂点とする支配者グループを構成していた時代だったのです。

現在の日銀総裁人事について、旧大蔵省出身者が毛嫌いされているのは、こうした歴史経過・・・

   「責任も取らずにしゃしゃり出て来るのか、図々しい」

という意識が反映されていると見るべきでしょう。

結果的に殆どの銀行が合併や縮小しながらも生き残ったのですが、奇しくも投資系の日債銀や長期信用銀行、日本興業銀行が、すべて完全消滅してしまったのはこうした世界経済の流れから見ると象徴的です。

 



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