04/06/08

バブル発生と後始末(大蔵省の責任)1

世界銀行や開発銀行グループは、わが国に10数年ほど前まで存在していた日本の興銀や長銀などの役割に似ていると言えばよいでしょうか。

戦後復興のために設けられた投資目的の開発銀行系の世界銀行グループは、先進国ではその役割を終えて、早くから後進国への投資・開発政策の指導機関に切り替わっていました。

それなのにわが国では、資金不足時代に国内投資目的で出来た組織の改廃を怠って、温存していたので、これが害をなして国内バブルになり、その結果これら長期信用系銀行は漸く姿を消したのです。

先進国では既に資金あまりで国内投資の機会が少なくなっていたので、世銀グループは早くから転進を図っていたのですから、わが国でも数十年前から投資系銀行の改廃縮小の道を探るべきだったのです。

わが国では、これら開発投資系金融機関が本来の役割が終わった後にも銀行の中の銀行といわんばかりに、大きな顔をし続けていたのがバブル崩壊直前までのわが国の姿でした。

経済界の指導者も、日本興銀元頭取の中山素平氏などの長期系銀行から輩出していました。

この結果産業資本としての使い道が無くなった資金が、ゴルフ場の買収資金の融資競争などに化けて行き不動産バブルの元凶となっていくのです。

バブル崩壊後に回り回って最後に金融危機が騒がれましたが、バブルは金融機関の押し売り的過剰貸し付け、押し売りが大元の原因だったのですから、その咎めを受けるのは至極当然だったのです。

ところがバブル崩壊・・・どこを捉えるかは着目点によって違うでしょうが、1990年10月には既に日経平均株価は前年比半減でした。・・・私の実務上の記憶では平成2年夏ころからと言う意識でした。

なお東京では、地価下落は株価下落よりも更に遅れて翌年あたりから始まったのですが、大阪でまだ1年間上がり続けていたのですから、どの時点を捉えるかは人によって違うのは当然です。

いずれにせよ、金融危機が表面化したのは、何と7年後の1997年11月の拓銀破綻、1998年10月・長銀破綻、1998年11月の日債銀破綻あたりからですから株価の半値下落から何と7〜8年も遅れているのです。

世上、「失われた10年」といわれますが、金融機関が自分のところへの波及・・責任追及を恐れて引き伸ばし、先送りをしていた結果が約7〜8年間というところですから、人為的2次災害の一種です。

そこへ行き着くまで、7年も8年も掛かってしまったのは、彼らは権力を握っていたので誤魔化し・・先延ばししていたたために、わが国のバブル処理が無駄に7年も経過し、長引いてしまったのです。

 



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