04/03/08

漢民族の同化政策1(台湾)

狭い列島内で平和に暮らすための智慧として、超長期(もしかしたら万単位の年数)の経過で仕方なしに同化せざるを得なかった古代とは違い、工場や支店(正確には現地法人)進出先の現地雇用の人たちは、いつでもやめて他社(他の先進国企業や、現地企業)に転職できる時代ですから、時間をかけて日本式人間関係を習得させる暇がない・・同化を期待するのは無理な時代です。

これからは、変化のテンポが早いので、世界相手に時間をかけた同化政策をやっていたのでは間に合わないでしょうから、異文化異質人は異質のままで人材活用できないで戸惑っていると世界競争に負けてしまうでしょう。

ところで、こうした同化政策はわが国の専売特許ではなく、漢民族の得意とするところです。

漢民族とは、本来は黄河流域の民族のことですが、周辺民族が攻め込んできて支配者になるたびに、これを同化して漢民族化して取り込んでいた結果が現在の漢民族だと言うのが私の理解です。

12/12/05「漢民族の広がり・・南北統一2」などで書きましたが、北宋は父祖の地である黄河流域から金に追い出されて、南宋と言う亡命政権を樹立しますが、その亡命政権が体よく長江南部を漢民族化してしまうのですが、この体験は現在でも中共に追い出されて台湾になだれこんだ国府軍とその取り巻きが、台湾原住民を取り込んで漢民族化しようとしていることの原体験です。

あるいは、チベットを武力占領して漢民族化しようとしているのもその流れの一つでしょう。

中国文明は、オリエント文明が遅れて行き着いた終着点で発達したに過ぎないという仮説を09/01/05「中国の独自性とは?2(中国の発展形態の異常性1)」前後や01/11/08「7サイクルの残存と文化交流の途絶1」以降で書いてきました。当初・・古代では中央アジア・西域からの文物の輸入が中心でしたから、最新技術に早くから接するいつも西方の太守が天下を取る結果で終わったのです。

殷の最後は、西伯の子武王が立って周が天下を取り、周の末期・・戦国末期には西域からの入り口にある秦が天下統一します。

その後、これまで書いてきたように、アレキサンダーの遠征以降中東地域出の文化的空白により、中央アジア経由の文物輸入が途絶えた後は、それまでの東西軸の政権変動から南北軸での政権変動に変ります。

このときも、魏晋南北朝・五胡十六国の活躍、唐の崩壊後は5代10国、南宋の末期は金からモンゴル支配となり、その次の明の最後は女真族の清朝支配となるなどと交互に南北政権の交代・異民族支配があって、その都度、その支配者が漢民族に同化されていき、その版図が漢民族の版図になっていくのです。

たとえば、漢民族が満州を占領して、版図を広げたのではなく、満州族が、漢の地を占領して一体化してしまっただけです。

 



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資