04/18/07

貸金業規制の歴史4(グレーゾーン金利1)

私が弁護士になったのは、昭和40年代末ですから、出資法プラス自主規制・・言わば自由放任による矛盾激化時代であったということでしょう。
「仁義なき戦い」(1973年=昭和48年以降の連作です)が、普通・・・自主規制では間に合わなくなって、そこで法による強制が必要となって来たのですが、この規制に対する業界の抵抗は、当然強かったと思われます。
(裏では多額の献金が動いていたのではないでしょうか?)
何しろ、厳しい取立てを苦にした焼身自殺・夜逃げなどが頻発し、大問題になったのに、法律が成立したのは、やっと昭和58年でした。
その引き換えにアメとして与えられたのが、利息制限法違反の金利取得(グレーゾーン金利)の合法化だったのでしょう。
貸金業界としては、 
    「マナーを強制されるかわりに、高金利さえ保証されるならば良い取り引きだ、大して困らない」
と言う気持ちだったのでしょう。
ただし、58年の貸金業法の成立直後は、グレーゾーン金利は、73%に制限されただけでしたが、この法律成立時から一定年数毎に引き下げていくことが予定されていたのです。
言うならば、世の中が、がむしゃらに稼ぐ時代から、安定成長・・上品になって行くに連れて、規制が順次強化されるようになることが、ある程度予測されていたうえに、このアメの方も徐々に縮小していくことが予定されていたのです。
この時点で、結局は将来性が決まってしまったような立法ではあったのですが、貸金業界としては、少しでも先延ばし出来れば良いか!と言う妥協だったのでしょうか。
実際に、昭和58年の貸金業法制定直後から、取り立てマナー方面の強化、各種ガイドラインの設定などで、早くから厳しくなっていきましたが、金利引き下げ方面の進行は、かなりゆっくりしたものでした。
20%まで引き下げる平成18年法の制定(後に紹介するように実施は、なお2年半以内先です)まで、約25年もかかったのですから、先延ばし策としては、大成功の部類でしょう。
(銀行預金金利が、0・00何%と言う時代が10年以上も続いていると言うご時世にもかかわらず、現行法では、まだ利息制限法超過金利でも29・2%まで有効になっています。)



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