04/16/07
貸金業規制の歴史3(自主規制法)法と道徳1
前回紹介したように、出資法の成立後貸し金業者の行動は刑法に触れない限り、自由放任状態だったのです.
この考え方は、刑法その他の法律に触れない限り、貸金業者だけその前段階の行為をしてはいけないと規制するのは、自由主義経済と合わないと言う意味もあって、一定水準を超える高利だけ処罰すると言う金融政策だけの観点にとどめたのではないでしょうか。
ところが、そうなると違法すれスレスレの取立て行為がはびこり、夜中の電報などあまりにもサラ金による被害がひどくなって来たのです。
そこで、
「貸金業者の自主規制の助長に関する法律」(昭和47年法律第102号)
が議員立法により制定されました。
自主規制法が議員立法によったのは、当時の政府は自由主義経済の精神・・古典的基本的人権思想にこだわっていたからでしょう。
「犯罪を実行するまでは、(恋愛行為に政府は関与できない・・)取り締まれない」
と言う精神で放置したので、桶川ストーカー事件のようにストーカーがエスカレートしたのですが、貸金関係も似たようなものですし、あるいは家庭内暴力、児童虐待などみな同じでしょう。
「およそ犯罪にならない限り、政府は謙抑的姿勢で望むべきだ」
と言う19世紀型の基本的人権保障の考えは、破綻しているのです。
経営の内容については自由主義思想で、いいのですが、顧客対応・・重要事項説明の程度などのルール化は、経営内容の自由とは関係なく消費者保護のために必要です。
経営内容・計画をどう決めるか、本の内容をどう書くかは思想表現の自由の問題ですが、誇大広告はいけない・原産地の表示義務などの公正取引のルール化と自由主義経済とは本来関係がないのです。
19世紀型の刑罰と道徳2分論が機能していたのは、犯罪まで行かなくとも道徳律を守らない人は、一定社会で生きていけない御互い顔の知っている社会があったからでしょう。
それと常識の範囲も、同じような知識経験で生きている時代には、価値観も共通でしたから、問題がなかったのですが、職業別に生活洋式が分化してくると価値観・・常識・・・商品知識も分裂してきます。
地域別、民族、人種別よりは、職業別価値観の共通化の時代であることについては、09/16/05「多神教・神道の支持基盤の喪失と新興宗教(産業構造の重要性2)」その他で紹介してきました。
こうなってくると、常識の範囲内で商品情報を表示すれば良いとして経営者個人の判断にお任せではなく、業界ルールまたは、取り締まり法規で、明示していかないとトラブルのもとです。
生産者や販売者側の基準と消費者の求める基準には差があるのですから、業界の自主規制基準に留まっていると本来のルール・・・双方の納得する基準にはならないのです。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
