04/15/07

貸金業規制の歴史2(金融業取締規則から貸金業取締法へ)

わが国で最初の規制は、昭和14年に警察取り締まり規則として、金融業取締規則(昭和14年8月31日警視庁令第29号)と言うものが制定されて、今同様に許可制、誇大広告禁止や書面交付義務付けなどが盛り込まれていたようです。
これは、内容的には、今同様ですが、治安維持の対象として警察が関心をもって取り締まりをしてきたのが始まりです。
今でも厳しい取立てがあると、警察を呼ぼうとする本能的な動きがあるのは、そうした歴史があるからかも知れません。
あるいは、そもそも債権取立て行為は、恐喝や暴力行為すれすれの行為が多いことから、警察は最初から犯罪集団類似の関心を特に持ってきたともいえるのです。
そこで、上記規則は、金融行政の目的に出でたものではなく、警察取締りの対象として、明治憲法第9条による(「公共ノ案寧秩序ヲ保持)するための命令でしたので、新憲法成立と同時に効力を失ってしまったのです。

大日本帝国憲法
第9条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ案寧秩序ヲ保持シ及臣民ニ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム
但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス

これが、新憲法憲法制定により効力を失ってしまったのです。
元々行政上の必要から出ていた勅令等は一杯ありましたが、こうしたものの多くは、必要性がありましたので、新憲法の法形式に合わなくとも、原則として新たに法律や政令、省令などとして衣替えして存続していったものです。
ところが、この規則は行政目的上の位置付けがなかったことから、失効したままとなって、貸金業は自由放任状態になっていたのです。
戦後の混乱期では、人命や窃盗等直接的脅威に対する治安維持が間に合わなかったでしょうから、警察としては、その周辺的行為の取り締まりどころでは、なかったからではないでしょうか。
そこで、戦後の混乱と相俟って高利が無茶苦茶にはびこって社会問題になったことから、放置できなくなったので、昭和24年に
      「貸金業等の取締りに関する法律」(昭和24年法律第170号・貸金業取締法)
が制定されました。
この法律では、貸金業を金融行政の1部として位置付け、大蔵大臣への届出制にしたものの、別に定めるとされていた制限金利もいつまでも定めることが出来なかったのです。
そのために、高金利は事実上の野放しだった上に、種々雑多な業者の監督をするには行政の手にあまったことから、取締りの機能を殆ど果たせなかったのです。
そこで、そもそも貸金業自体は自由主義経済の自由な商売であるから、結局高利さえ制限すれば足りると言う観点から?(私の想像だけです)業法としての規制法形式を止めてしまったのです。



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