04/15/07

貸金業規制の歴史1(金利制限以外は自由放任時代)

以後のサラ金や貸金業界の発展振りはご承知のとおりですが、日榮や商工ファンド、武富士・プロミスその他大手はその後社会的認知を受けて続々と東証に上場できるようになっていったのです。
上場できれば、後に書きますが資金取り入れが銀行からの借金だけでなく、市場から社債などで直接取り入れできるメリットが大きいのです。
これが、昭和58年以降順次の制限金利引下げに応じられるようになった経済的裏付けでしょう。
ま、この段階では、サラ金業界の先勝でした。
その代わりに、以下に貸金業法を紹介するように登録業者として、官庁の監督を受けることになって、次第に野生の虎としての爪をもがれて行くことになるのです。
ところで、貸金業は、昭和58年の貸金業法ができるまでは、野に放たれた虎同様・・野放しであったと書きましたが、この辺で簡単に貸金業に対する法制度の流れを見ておきましょう。
私が弁護士になったころの金貸し・・・・高利貸・・正式には?金融業者は、都道府県知事への届出だけすれば(広域の場合は大蔵大臣)誰でも何の資格も不要で、だれでも出来る自由な商売だったのです。
タダ、刑事法である出資法で禁止されている上限金利・・年利109・5%以下であれば、何ら取締りを受けない・・刑法にさえ触れなければ良いと言う気楽な商売で、何らの規制もなかったのです。
届出だけで足りるのですから、当然免許などの取り消しや業務停止もなかったので、やりたい放題・貸金業特有の規制としては、ゼロの時代が続いていたのです。
やりたい放題とは、業者としてのひとつひとつの行為が、社会一般の法規に触れない限り、交通事故はその法律で、取立てに際しての暴力や恐喝は刑法と言うように、それぞれの法律に引っかからない限り・・自由気ままという意味です。
これが、貸金業法の成立で、業者登録するための資格(後に武富士会長事件で紹介しますが、一定の前科がないことなど登録の要件が厳しくなりました。)から、社員資格(暴力団員はだめ)・取り立ての方法(夜間取立ての禁止など)、債権譲渡の相手方に至るまで、詳しく規制されるようになったのです。
他方で、登録の実効性を保つために、無登録営業には、厳しい懲役刑も課せられるようになりました。
ある程度の高利の存在は、仕方ない・・社会悪として公認する代わりに、取り立て関係の行儀のよさを求めた立法・・規制法であったと言えるでしょう。
以上のように現行法制定までは、貸金業者の行動は野放しだったのですが、過去に一回も規制がなかったのかと言うとそうでは有りません。



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