04/29/06

不均衡発展と内部矛盾4(幕末と明治以降3)

明治維新はホンの短期決戦で終わったのは、以上述べたとおり内部格差が生じていなかったからでしたが、いずれにせよ幸いでした。
それの結果、明治維新は、長引く騒乱による国力疲弊を伴わずに終わり、外国の介入を招かずに完了したので、大革命に匹敵する変化を成功させ、近代化にひた走ります。
王政復古といいながら、政権を取ると、直ちに近代化に切り替えられた政権担当者の政治的手腕は、見事なものでした。
この点、後に書きますが、中国では、人民の支持を受けるために共産主義を標榜していたのですが、共産主義の基本は富の分配ですが、政権獲得後は、富の分配だけでは前に進みません。
勿論、共産政権も生産増に励みますが、管理体制を基本にする場合、既存資源の有効活用といい意味では効率が良いので、政権獲得直後は「飛躍」できるのですが、新たな挑戦には向かないのは、周知のとおりです。
そこで、共産主義あるいは、わが国の官僚主導社会も含めて、生産増には限界があるので、結局既存の「富(人的資源を含めての分配」を特徴としたものと言う、極端な書き方をしているのです。
そこで修正主義になっていくのですが、教条主義を特徴とする共産主義社会では、簡単に切り替えが出来ず、紅衛兵による反動時代・・4人組追放をへて、漸く解放経済に向かえたのが1980年代でしたから、政権獲得後30年も費やしているのです。
辛亥革命(1911年)以来から数えると、約70年も空転していたのですから、日本の明治維新当時の変身の鮮やかさに驚くべきでしょう。
明治以降は、解放経済体制ですから、商工業の発達して行く地域と取り残される純農漁村地域との格差が必然的に出来てきます。
国内対立は、実は幕末の騒乱解決後近代化につれて、やってくるべきものでした。
そこで、近代化に連れて、新たに発生してくる格差是正が、明治以降の長年の重要政策でしたが、急激な近代工業化の過程で、地方労働力をかなり吸収しました。
「国土の均衡ある発展」と言う概念の始まりです。
実は、国土自体は山あり谷ありで均衡しなくとも、どうでもいいのですが、地方ごとの国民格差是正と言う意味だったでしょう。
都会で、後進地域の若者を吸収が出来なくなった昭和恐慌以降は、満州などへ、地方の青壮年男子を引っ張り出してしまって、社会矛盾の暴発を防いだのです。
それでも残った青年は、兵役に引っ張れば、暴動予備軍が却って政権維持装置になるのですから、将棋の駒を取って自分の駒にするようなものです。
満州への膨張は、植民地主義と言う視点でこれまで見られていますが、地方格差に対する不満分子となるべき青壮年層を海外に出してしまう安全対策としても、使われた要素が大きかったとみるべきでしょう。
地方出身の兵を預かる下士官が、農村の疲弊・・・身近な「おしん」の世界を実感していましたので、満州への膨張に熱心であった理由も、そこにあるのです。
この辺は、軍の支持基盤の観点から、04/25/06「ピューリタン革命4(護国卿政治・・クロムウエル独裁)」のコラムで書きました。



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