04/28/06
不均衡発展と内部矛盾2(幕末と明治以降1)元気印のエネルギー発散1
我が国でも、足利時代の南北朝の騒乱と足利末の東西に分かれた山名宗全対細川勝元の戦いに始まる応仁の乱・・更には戦国時代へと連なる長い騒乱時代がありました。
この騒乱時代は、支持階層が新たに生まれた地殻変動と言うには、無理があったでしょうが、元気になり過ぎた武士層のヘゲモニー争いが長引いただけと言うところでしょうか?
ただ、日本の社会発展段階としてみれば、平将門以来の武家の着実な発展が頂点に達して、朝廷・・公卿の意向など関係なくなって、武家同士で好きなだけ最後の決勝戦をやっていたと言う見方も出来るでしょう。
戦争ばかりで、疲弊していたのかと思うとそうではなくて、そのころの気候は良くて、生産性が格段に上昇していたので、有り余ったエネルギーが戦乱発生の原因であり、長引いた原因と言うのですから、幸せな国です。
以来、安定政権を目指した江戸時代を通じて、若者のエネルギーをどう発散させるかと言うのが、為政者の重要な政策になっていくのです。
こうして日本では勇壮な?と言うか、庶民の若者のエネルギー発散制度・・祭りが考案され、全国各地で受け継がれて来たのです。
(現在各地にある若者が神輿を担いでぶっつかり合ったり、冷たい川や海に入ったりする形式の祭りの殆どが、江戸時代以降に生まれたものです。)
あるいは、島津家の若衆宿なども、その一種でしょう。
武士、エリートについては、武芸に励むようにして、エネルギー発散させればよかったのです。
明治以降は、新しい御祭りを作りませんが、体育会系と呼ばれるコースを造り、これがどういう訳か護国派・・体制派にうまく組み込まれるようになりましたので、労働者にもスポーツを奨励し、血気盛んな男の活力の消耗に精出します。
ただ、スポーツは一定の練習・・・根性が必要ですから、そこまで到達できない、若者や無気力層の扱いに困っているのが、現在社会の病理でしょう。
これにくわえて、精神病質者の増加も頭痛の種です。
こうしたグループは、反政府運動をしたり、政府転覆運動に参加するまでの活力が有りませんので、旧来型の危険分子にはなりません。
昔は、政権担当者としては、体制外からの攻撃にさえ備えていればよかったので、言わば放置されていて、無気力者や精神病者は、言わば人間界の埒外として社会から無視され、家族や、親族が困るに任せていたのでしょう。
しかし、「衣食足りて礼節を知る」の例えのように、豊かな社会になってくると、直接的暴力や直接的騒音だけでなく、間接的な嫌がらせや重低音にも敏感となり、耐えられないので社会問題になってきます。
民主国家では、体制外からの攻撃で政府が転覆しなくとも、体制内の競争で負けても与党の地位を失うのですから、体制そのものの直接的な敵でなくとも無視することができません。
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