04/26/06

ピューリタン革命の意義2(クロムウエル・・軍事政権の崩壊)シビリアンコントロールの誕生

しかし、政治と言うものは自分の陣営だけが得するような施策では、反対陣営が承知しないので、粘り強い交渉や妥協が必須なのです。
何かあるたびに、白か黒かしかなくて、昨日の韓国の大統領による竹島問題に関する特別演説みたいにいきり立っていたのでは、しょっちゅう内戦や戦争ばかりになります。
政治・社会が平和を保つには、ある程度の妥協が必要なのです。
軍事政権の政権担当能力については、10/17/05「中南米やサイゴンの軍事政権(アルゼンチンの場合)1」前後で、エジプトなどの中東諸国も含めて、かなり連載しました。
では、日本の軍事政権とされる武家政治が、何故うまく行ったのかと言うと日本の武家・・取りわけ源氏政権は地方のどぶ板選挙ならぬ地方各地の利害代表として活躍していたことを、04/13/06
政教分離3(政治=現実処理能力)」・のコラムで紹介して来ましたが、かれらは政治実務家だったからです。
これに対し平家は単なる武人でしかなく実務能力がなかったので、地方の支持を受けられず没落したと言うこともそのコラムで紹介しました。
(「平家は公達で源氏は武力」と言う普通の理解は、私に言わせれば、間違いです。)
この後に書きますが、石油利権や運河の国有化など単純な富の分配までは、軍事政権で片付けるのは合理的ですが、商工業者の得た富を遅れた所得の低い農村地域へ再配分するのは、単純な武力だけでは無理があるのです。
話があちこちに行きますが、クロムウエルの軍事独裁は複雑な国内利害の調整が出来ず、単なる恐怖政治に陥ってしまったのです。
(フランス革命のジャコバンの恐怖政治も、その原因は同じでしょう)こうなると軍人らしく、複雑な水面下の交渉は面倒くさいので、英断ばかり・・根拠のない強権政治・・・恐怖政治になってしまったのが、クロムウエル2代に亘る独裁でしたから、国民がウンザリしてしまったのです。
軍事独裁の懲り懲りした議会では、フランスに亡命していたチャールズ2世が(位1660〜1685)即位宣言を出すと、これが歓迎して約20年に及ぶ騒乱時代が終わるのです。
こんなことで、イギリスがこの20年近くの騒乱の経験で得た、どんなことがあっても
     「軍人は政治に口出しすべきでない」
と言うことだけは、意識的に得た教訓で、国民的合意になったのでした。
これが、今の日本国憲法につながる「シビリアン、コントロール」の精神となるのです。



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