04/25/06
ピューリタン革命4(共和制・・ランプ議会)軍部の台頭
議会としては、国王の降伏から処刑により、政権を握ったものの、財政逼迫の事態(約10年あまりの内戦で、さらにお金を使いました)は、どうしょうもなかったのです。
王領地や王党派の領地没収をしても間に合わないので、増税か軍縮政策にならざるを得ません。
しかし、国王による増税に反対しての内乱でしたから、増税はできません。
内戦がやっと収束したので、膨張した軍備の縮少しかなかったのですが、これに反発した軍部の力で、1653年議会が解散されてしまいます。
変わって出来たのは「聖者の議会」と言う変な名称の議会で、要するに群衆に根拠を持つ、愚者の議会とも言われています。
これも何の能力もないので、4ヶ月で解散し、クロムウエルの独裁となるのです。
03/15/06「ロシア革命と中華人民共和国の成立1(前衛とは?)」のコラムで紹介しましたが、
ロシア革命で、少数派のボルシェビイキ派が、武力で議会を閉鎖したのと同じです。
軍部から推されて護国郷になったクロムウエル自身、政権担当してみると財政逼迫は変わらずで、軍縮か増税しかないので、矛盾に苦しむうちに死亡し、2代目リチャード、クロムウエルもどうにもならなかったのです。
クロムウエルは、ランプ議会中から軍部を背景に実質的な権限を握り、穏健派はその妥協に追われていたのです。
例えば、議会では内戦に勝ち、王が降伏してきたところで、この機会に改革に従う誓約書を国王から取ろうとしたものですが、軍部が誓約書でなく、処刑を要求して譲らず、処刑になってしまったものでした。
このように、クロムウエル独裁になる前から、議会は、軍部の意向を無視できなくなっていたのです。
日本で戦争時には、軍人がそのまま組閣しましたが、その前から軍部の発言力が強く、内閣を事実上牛耳っていたのと同じです。
中国の歴史上禅譲によって政権移譲が行われる事が多くありますが、禅譲の前から事実上その臣下が、国政を壟断しているのが普通です。
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